裸を恥ずかしがるのはヒトだけである。



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題名:裸を恥ずかしがるのはヒトだけである。
報告者:ナンカイン

 ヒトは自然界において特別な存在である。それは、生物学的というよりも社会学的な要素が強いであろう。生物学的に見ると、チンパンジーの近縁であり、DNA上でも実に1.2%ほどしか違いがない(この記事も参照)。その他にも違いはあるものの、DNA上の1.2%の違いだけで説明するには、あまりにもチンパンジーとの格差が大きすぎる。標題もその一つである。
 チンパンジーは各個体間の裸に関しては、むろん無頓着である。しかしながら、ヒトは各個体間の裸に関しては、明らかに刑法で罰せられ、恥ずかしがる以上の重みが存在する。裸で公共の場に出る、あるいは、裸を面前で晒そうものなら、少なくとも日本国内では刑法174条の「公然わいせつ罪」にあたり、裸のなどの文書、図画、媒体などを頒布したならば、刑法175条の「わいせつ物頒布等の罪」に問われる。一体、いつ頃から、ヒトは、他者の裸を恥ずかしいものと見なすようになったのであろうか。あるいは、そのきっかけはなんであったのであろうか。
 ここで、それを考えるために、裸を隠す装飾品としての衣服を検討してみる。普通の街であれば、上下とも衣服を着用し、夏の海などでは、男性は腰回り、女性は胸周りと腰回りだけとなる。一方、アマゾンやアフリカなどの熱帯の一部の地域では、男性は腰回り、女性も腰回りが中心となる。スペイン人の考古学者、ディエゴ・コルティーヨさんが撮影したマシコ・ピロ族の写真を図に示す。この写真からも、アマゾンの一地域でのその様子が明らかである。このことから、現在の地球上の多くのヒトを見回しても、気候の違いで衣服への簡素化はされつつも、腰回りは男女ともに隠していることになる。このことか

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図 アマゾンのマシコ・ピロ族1)

ら、腰回りを覆い隠すことは、ヒトが裸になることと、ヒト以外の動物が裸であることの違いにおいて、最も意味の違いが存在することが明らかである。その腰回りについて考えると、ヒトには何があるかと言えば、やはり生殖器に他ならない。すなわち、裸を恥ずかしがるようになったヒトの、他者間の意識として、生殖器が露わとなるか、露わとならないのかが、重要なポイントとなったことが明らかである。そこで、ヒトにおける生殖器の役割を考え、そのポイントを捉えてみたい。
 ヒトにおける生殖器には、①性行為を行う、②排泄(尿)を行う、ことがポイントとなる。排泄は尿以外に便もあり、臀部の中央にその排泄口があるが、こちらに関しては臀部の筋に隠され、露わにはされにくい。図のマシコ・ピロ族の写真からも、臀部に関しては覆いが少ないように思える。このことから、やはり生殖器としての部位にヒトが裸を特別視する理由があることが推測される。そこで次に考えるべきことは、先の①と②が、ヒトにとってどちらが恥ずかしいと思うようになったかである。このことを推測するには、ヒトの進化において、性行為が先に他者間で秘めごととして意識されたのか、排泄(尿)が先に他者間で秘めごととして意識されたかで判断ができる。このことについては、男性であれば、今の時代でも他者間で互いに排泄(尿)をすることが場合によって平気ではある。その所謂立ちションは、面白がっても、恥ずかしがることはない。その状況からも、やはり性行為がヒトとして特別な意識を抱いた根源なのであろうか。その謎は、謎のままである。

1) http://karapaia.livedoor.biz/archives/52065758.html (閲覧2016.5.20)

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