地底たる謎の研究室

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「盗んだバイクで走り出す」は罪になるのか?



「宇宙コロニー( Off-world colonies )での新しい生活が貴方を待っています。チャンスと冒険に満ちた黄金の土地に、再び巡ってきた好運。」 “A new life awaits you in the Off-world colonies. The chance to begin again in a golden land of opportunity and adventure.”

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題名:「盗んだバイクで走り出す」は罪になるのか?
報告者:ゴンベ

 1992年4月25日、音楽界に騒然となるニュースが流れた。ミュージシャン兼シンガーソングライターの尾崎豊の死である。死因は肺水腫とされているが、その真相は不明である1)。若干26歳であった。あまりにも早すぎる死である。しかしながら、彼が残した歌詞には青年期であれば誰しもが持つような心の叫びが刻まれ、今でもファンが多い。彼の曲の中でも有名なものに、「15の夜」がある2)。歌詞の15とは15歳のことであるが、15歳の青年が思想する社会への葛藤と孤独と自由が綴られ、日本の音楽史に残る名曲のひとつである。ただし、反社会的な内容も歌詞に含まれるため、教育界ではあまりよく思われてはいない。

校舎の裏 煙草をふかして見つかれば逃げ場はない
盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま

このようなフレーズを毛嫌いする人も多いであろう。確かに15で煙草を吸う、あるいは、バイクを盗んで走るは反社会的な行為である。この中でも、煙草は個人のことであるが、バイクを盗むは間違いなく窃盗である。また、バイクで走るも無免許運転にあたり、これも犯罪対象となる。当の尾崎豊が実際にこれをしたのかは分からないが、この辺に彼が教育界から快く思われていない理由があろう。このフレーズの中の「盗んだバイクで走り出す」であるが、本記事はその深層心理について、盗んだ側と盗まれた側から探ってみたい。
 盗んだ側は、ある所有者のバイクを盗むことは、社会の規則から一歩はみ出すことになり、それで走り出すは社会の規則の枠から逸脱することを意味している。すなわち、現実の社会での置かれた状況をどうにかして変えたいという青年期の一心がそこに見てとれる。一方、盗まれた側は自分の所有しているバイクを盗まれたことから、いわゆるどろぼうにあったことになり、何としてでも盗まれたバイクを取り返したいと思うに違いない。このバイクが愛車であったら、盗んだ側に対して単純に盗まれた事実や金銭だけでは済まされないであろう。このようにしてみると、明らかに盗んだ側と盗まれた側の意識に乖離があり、合い受け入れられないものとなっている。ここで仮に盗まれた側の意識として、将来盗まれた自分のバイクが名曲の歌詞の一部となる、さらに尾崎豊のファンである、があったならどうであろうか。盗まれた側は逆に喜ぶに違いない。あるいは、「これは自分のバイクである」と自慢するかもしれない。反社会的な規則とは、このようにやる側とやられる側の問題意識の違いによって起こる。同じように、バイクではなく、これがインターネット上の情報だとしたらどうであろうか。プログラマー兼インターネット活動家のアーロン・スワーツは、論文データベースのJSTORから学術雑誌の記事をダウンロードしたとして、罪に問われ、2013年1月11日に自殺にてなくなった3)。享年26歳である。期せずして尾崎豊と同じ年である。JSTORとはネット上で配布する電子図書館であり、スワーツはハーバード大学の研究員だったので、JSTORの使用権を持っていた。そのため、その情報を外部にもフリーにすべく、彼自身はよきこととして行ったことが自殺に追い込む引き金となった。ここにもやる側とやられる側の問題意識の違いが見られる。

1) https://ja.wikipedia.org/wiki/尾崎豊 (閲覧2015.9.29)
2) http://j-lyric.net/artist/a000ee6/l003fac.html (閲覧2015.9.29)
3) https://ja.wikipedia.org/wiki/アーロン・スワーツ (閲覧2015.9.29)

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