題名:自己の存在理由
報告者:ダレナン
生きているという実感とともに、あれもこれもと嫌なことが次々と重なり、なんで生きているのか不思議に感じることがある。そもそも自分がこの世に生をもうけ、生きていること自体、不思議なことではあるが、あらゆることに生きていることが嫌になった状態では、自分という存在が、何故この世でありえているのかが分からなくなる、すなわち、人生の路頭に迷い、自分の人生のトンネルに全く出口が見えない状態である。人間だから、生きていることを実感し、それを人の営みとしてこの世に貢献しなければならない、と言うことは、たぶん人間として生まれたからには、十分に理解しなければいけないことである。しかしながら、別に人間として生まれたいと、己が神に嘆願した訳ではない。それなのに、人間として生まれ、ともすれば人間として生きていること自体が、この世の自分の存在として価値があるのであろうか、と常に問いかけさせられる。
なんで、自分は、生きているのであろうか?
そもそも、自分とは、いったい何なのであろうか?
虫や、鳥や、動物を見ると、何故彼らはこの世に生きているのか不思議になる。それと同じく、自分はその生物の一種であるにも関わらず、生きているなどを考え、それら生物と異なる生物であるかの如く、考える。それ自体、人間であるから仕方ないと言えばそれまでである。ただし、人間であろうとも、生物の一種であることには変わりなく、自然界において唯の一匹である自分が、特別な存在である訳がない。
蟻のように、燕のように、猫のように、それと全く自分は変わりがない。
自分はこの世の特別な存在ではない。
はてしなく広がる宇宙の中で、己が生まれた意味を考えながら、今日も過ごして、さらに明日も過ごして、さらに明後日も過ごして、ここにいる理由を探している。どのような解法が見出せようとも、自分がこの世に存在している理由は、まったく解くことができない。それは神のみぞ知るであろうか。
神よ。
ここにいるなら教えてほしい。
なぜ、自分がこの世に生まれたかを...。
なぜ、自分がこの世に生きているかを...。
幼き頃にはなかった意味が、年とともに重みを増す。それは、悲愴なる想いに繋がるのであろうか。
From ここから。© 2015 This is 地底たる謎の研究室 version。