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スウェーデンのHasselblad社の歴史



「宇宙コロニー( Off-world colonies )での新しい生活が貴方を待っています。チャンスと冒険に満ちた黄金の土地に、再び巡ってきた好運。」 “A new life awaits you in the Off-world colonies. The chance to begin again in a golden land of opportunity and adventure.”

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題名:スウェーデンのHasselblad社の歴史
報告者:ログ

 Hasselbladと聞いて、ピンとくる人は、カメラ、あるいは、写真に詳しい人であろう。一般的に、カメラの会社と問えば、日本では間違いなくCanonかNikonと答える。ドイツではLeicaとなる。しかしながら、スウェーデンの人に尋ねてみると、一般の人でもHasselbladと答える人も中にはいるかもしれない。その通りで、Hasselbladはスウェーデンのカメラ会社である。
 カメラ会社としてのCanonは1934年に国産初の35mmフォーカルプレーンシャッターカメラKWANONを試作したことがカメラでの歴史の始まりであり1)、Nikonは1947年に量産型のニコンI型を製造したことが始まりとされる2)。こちらもフィルムサイズは35mmが基準である。Leicaはそれらよりも歴史が古く、1925年に量産型のModel Aを製造したことが始まりとなる3)。ただし、このModel Aに先立って、35mm映画用フィルムの2コマ分であるフィルムサイズの24×36mm判が開発され4)、これがフィルムのサイズの一基準である35mm判となり、別名Leica判とも呼ばれている。それでは、Hasselbladのカメラ会社としての歴史を問えば、上記の会社から少し遅れること、1941年に航空用HK7型7×9cm判レンズシャッターカメラを開発したのが始まりとなる5)。ただし、このカメラのフィルムサイズでも分かるように、35mm判を使用するのではなく、7×9cm判といった大きな判を使用していることが特徴である。そのため、現在でも中判と呼ばれるサイズを中心にHasselbladのカメラが展開され、一般には馴染みが少ないのも無理はない。多くは、商業的な写真の撮影で用いられていることが多いカメラの会社である。
 カメラの歴史は、ある時を境にフィルムからデジタルと一瞬にして移り変わり、その影響はこの記事にもあるように、業界に大打撃を与えた。Kodakの倒産はまさにその煽りである。この変化はHasselblad社にも当然のこととして存在した。しかしながら、先頃にミラーレスデジタル中判カメラのX1D-50cを自社で開発し、販売することとなり、Hasselbladの意気込みがよく分かる。御社のHPにも「スウェーデンでハンドメイドされる X1D には、美しいパフォーマンスと北欧スカンジナビアの感性を融合しています。どこに持ち運ぶのにも最適なコンパクトさと、どんなものでもとらえるパワフルさを兼ね備えています。」と記載され6)、このカメラへの期待が伺われる。図にX1D-50cを示す。センサーサイズも中判にふさわしく、43.8 × 32.9mmもあり、35mm判と比較して面積比で約1.67倍もある。もちろん画質は非常によいに決まっている。が、値段も非常によい、のである。

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図 Hasselblad X1D-50c6)



1) http://web.canon.jp/corporate/history/01.html (閲覧2016.10.18)
2) http://www.nikon.co.jp/channel/recollections/01/index.htm (閲覧2016.10.18)
3) http://www.hi-net.zaq.ne.jp/bukui801/sub13.html (閲覧2016.10.18)
4) https://ja.wikipedia.org/wiki/ライカ (閲覧2016.10.18)
5) https://ja.wikipedia.org/wiki/ハッセルブラッド (閲覧2016.10.18)
6) http://www.hasselblad.com/jp/x1d (閲覧2016.10.18)

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