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Franco Serblin氏の音への情熱


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題名:Franco Serblin氏の音への情熱
報告者:ログ

 かつてオーディオの業界は、著しい繁栄を極めた。特にテレビジョンが多くの家庭に普及する時代からラジオが普及した後において、自分の好きな音楽を聴けるオーディオは特別な価値があった。少なくとも1960年代においてLPレコード一枚が2000円であり、当時、大学卒の初任給は15000円程度であったため1)、相当な高額であったことが分かる。ちなみに、LPとはLong Playの略であり、レコード盤面一枚に対して片面で約30分ほどの音楽が聴けた。現在は曲一つにつきMP3などのファイルによる音楽メディアが主であるために、ギガバイト以上の記録メディアを使用すれば、曲の収録時間にほとんど関心は払わなくてもよくなった。そのLPレコードは、前世代のSP(Standard Pleying)レコードと比較して、長い記録が可能であったが、今では相当に少ない時間である。このようにして、音楽メディアはレコードから、MPファイル、その間にCD(Compact Disc)と様々な発展を遂げてきた。また、これと同じくして、源流にあたる音楽メディアを生かすために、入力から出力へのオーディオ機器も大きく様変わりした。レコードプレーヤーからDAP(Digital Audio Player)、アナログからデジタルアンプへと変貌はその最たるものである。このことから現在の音響機器は源流(録音技術も含め)から、入力、増幅まではほとんどデジタル機器で行っている。すなわち、音を0か1の記録に置き換えている。しかしながら、最終出力であるスピーカーは未だにデジタルではない。それというのも、人間が聞く音はアナログであり、デジタルでは音(音楽)にならないからである。将来的には、脳内に直接音を認知させるような機器の発達もあるかもしれないが、耳から聞く音はアナログのままであることには変わりようがない。そのため、他のオーディオ機器以上にスピーカーにこだわりを持つ人も少なくはない。Franco Serblin氏もその一人である(図)。Serblin氏はイタリアを代表するスピーカーメーカーのSonus Faber社の創業者でもあり、1980年に同社を起業し、1980年代中頃には同社を代表するMinima (1984)、Electa (1986) 、Electa Amator (1987) といった製品を世に送り出した。2006年にSonus Faber 社を譲ったものの、その後は自分の名を冠とするStudio Franco Serblin社を創業した。しかしながら、残念なことに、 2013年3月31日に73歳のその生涯を終えた2)。

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図 Franco Serblin氏3)                     

 Seblin氏はイタリアのヴィチェンツァ生まれである2)。イタリアと言えば、ヴァイオリンの一大生産地で、Stradivari氏はもとより、Amati、Guarneriといった一族もすべてイタリアで生まれである。すなわち、現在のヴァイオリンの芳醇な音色の源流は、中世のイタリア職人気質から来ていることは間違いない。実は、Franco Serblin氏のスピーカー作りも彼らに相当するような職人的なこだわりがあり、極厚のウォールナット無垢材による、寄せ木加工をキャビネット(エンクロージャー)としたフルハンドメイドのスピーカーは、当時、通常(商業的な流れ)ではありえないほどの内容であった。外観の美しさもさることながら、そのスピーカーの構造・ユニットへの追求には、スピーカーは単なるオーディオ機器ではなく、楽器である、との氏の思想が大いに見え隠れした。Sonus Faberはイタリア語で音の工房と訳されるが、まさしくその通りであった。

1) https://ja.wikipedia.org/wiki/千円盤 (閲覧2015.9.7)
2) https://it.wikipedia.org/wiki/Franco_Serblin (閲覧2015.9.7)
3) http://www.avcat.jp/main/avnews/2013/04/01/sonusfaber、創業者「franco-serblin-(フランコセルブリン)-」亡く/ (閲覧2015.9.7)

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