地底たる謎の研究室

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デカダンスを致命的という言葉から見つめ直す


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題名:デカダンスを致命的という言葉から見つめ直す
報告者:アダム&ナッシュ

 デカダンスは一般的には退廃的、あるいは、背徳的として訳され、理解されている。元々の語はフランスにあり、フランス語でdécadenceとして綴られ、それが日本に定着し、カタカナでのデカダンスとなった。さらに、そのフランス語の起源はラテン語にあり、ラテン語では「落ちる」を意味する1)。しかしながら、「落ちる」以上に、デカダンスには悲哀と苦悩、罪の意識と悔悟、そこからの救済を求めて悶える精神の非日常と聖なる絶対者への僮憬と、宗教における本質とも重なりあって1)、単純にラテン語の「落ちる」だけではない価値観も含有される。仮に、映像でこのデカダンスを観るとすれば、女性の映画監督であるリリアーナ・カヴァーニ監督による映画「愛の嵐」が的確になるであろうか。映画では、ナチス支配下におけるかつての主(ダーク・ボガード)と従(シャーロット・ランプリング)から、過去から現代という時間の流れに伴いナチス支配下での屈折した愛憎が倒錯し始め、次第に主と従が逆転する、も、最後は互いに「落ちる」。その様子は、まさにデカダンスという言葉が持つ意味合いそのものといえよう。図に映画「愛の嵐」の一場面を示す。リリアーナ・カヴァーニ監督の著名な作品は、主にこの映画一本となるが、その製作された1975年という時代背景もあり、今では撮影が難しい奇跡的な作品となったことは、どなたも異論がないに違いない。「失楽園」でも有名な渡辺淳一氏も、シネマティク恋愛論3)でこの映画を真っ先に取り上げて論評している。渡辺氏曰く、この作品の印象でもって「人間の実体は、それほど知的でも美しいものでもない。それどころか、理性とは裏腹に生々しく動物的な欲情が潜んでいる。」3)と説明している。ゆえに、人間はいくら論理的に武装しようとも、その根底には感情が常に横たわる生き物でもあり(この記事も参照)、そこに科学と宗教との接点をも垣間見られる。



図 「愛の嵐」の一場面2)

 一方、デカダンスと同じくして、フランス語でfemme fataleという言葉がある。直訳すると、宿命的な・運命的な女性となる。それが高じて魔性の女性、妖しい魅力を持った女性という意味合いで使われる4)。また、fataleには別の意味で致命的・命取りのという意味もあり5)、このことから、femme fataleは宿命的な女性でもあり、致命的な女性ともいえる。ただし、日本では致命的と付くとあまりよい意味にとられないが、韓国では女性に対する称賛の意味合いもあり6)、その流れで捉えると、韓国では致命的な女性といえば、危険なほど魅力的な女性としての意味が濃いようである6)。これらから考えると、デカダンスは、退廃的、あるいは、背徳的というややretrospective(後向き、回顧の)な言葉よりも、むしろ、致命的というprospective(前向き、将来の)な言葉のほうが内容としてふさわしいのかもしれない。そこに、デカダンスの語源であるラテン語の「落ちる」だけではない、これから起こり得る「落ちるかもしれない」魅力も生じる。

1) 小関三平: 序説・デカダンスの構造と諸相(I). 神戸女学院大学論集 30: 47-73. 1983.
2) http://theredlist.com/wiki-2-17-513-863-822-961-view-drama-emotion-7-profile-1973-bthe-night-porter-b.html (閲覧2017.6.8)
3) 渡辺淳一: シネマティク恋愛論. 集英社. 1995.
4) https://allabout.co.jp/gm/gc/207103/all/ (閲覧2017.6.8)
5) http://yaplog.jp/hanazono/archive/88 (閲覧2017.6.8)
6) https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11166788166 (閲覧2017.6.8)

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