題名:家庭内シンギュラリティに向けて -ゴミ捨てと片づけに対する人工知能への淡い期待-
報告者:ナンカイン
現在の人工知能の技術は大いに進み、この記事にもあるようにあと数年でシンギュラリティ(技術的特異点)を迎えると言われている。すなわち、このシンギュラリティにおいて、人工知能の能力が人の脳の能力を超える。また、それだけではなく、多くの職業が人工知能に奪われてしまう、ことも危惧されている。これに対して、パリ第六大学の哲学者であったジャン=ガブリエル・ガナシア博士は、自身の著作1)のなかで、シンギュラリティが起こることは絶対に不可能であるとは言えないにしても、ほとんどありそうにない、とも述べ、諸家によってこのシンギュラリティへの見解が分かれている。しかしながら、人工知能がこの先ますます進化すれば、人の脳の"ある機能的な側面"が人工知能よりも劣ってしまうことは、今もって明らかである。例えば、文献2)にもあるように、人工知能の「IBM Watson」の能力によって、60代の女性患者の正確な白血病の病名をわずか10分で見抜き、病名から割り出した適切な治療法によって患者の命を救ったという記事からもそれが分かる。このことから特に、多くのデータベースから引き出される結論は、人よりもむしろ人工知能の方が人特有のバイアスのある感情を交えないだけより正しい推論を行うことができると言えよう。言い換えると、現在から近未来にかけての人工知能のシンギュラリティにおける正しい定義は、"ある側面において"人工知能は人よりも優れた能力を持つ、が正しく、人工知能はやがて"ある側面では"完全に人の能力を超える、という解釈が、現在のシンギュラリティの捉え方として正しい。ただし、この先どれほど人工知能が進化しようとも、人工の知能には自己創発(この記事も参照)が芽生える期待は難しく、それは、人工知能には直感という動物的な勘が養われないことをも示唆している。ただし、この動物的な勘が仮に人工知能に芽生えたとしたら、それこそまさにシンギュラリティの到来となることは間違いない。
今現在の人工知能が期待できる能力として、Amazon EchoやGoogle Homeなどで代表されるように、スマートホームの構想を実現すべく自宅の照明や空調などをコントロールしたり、インターネットから情報を得たり、IoT(Internet of Things(この記事も参照))において生活がThingsと融合することは得意となる3)。また、家事については、ルンバに代表されるように掃除を挙げることができる。しかしながら、その他の家庭内で大事な仕事として、ゴミ捨てや片付けもある。家の家事を積極的に実施している方であれば、これらは家庭内の大事な仕事であると確実に認識されているであろう。特に、両仕事とも誰もしなくなった時、その家は確実にゴミ屋敷へと変貌する。ゴミ捨てや片づけは、いくら人工知能の推論が優れていると言えども、その推論機能がこの先どんどんと進化しても、分別してきちんとゴミを捨てられる、きれいに整理整頓できるといった能力が、家庭内できちんと機能していなければ、まったく役に立たない人工知能となる。それを無難に遂行するには、適当に放り投げたゴミに関してゴミ箱がうまく判断し分別して、箱がいっぱいになればゴミ捨て場に持って行ってくれる、とか、散らかっている部屋内の物品が、適度な時間でもって気が付くと自動的に元の位置に正しく片づけられている、などの高度な処理能力が必要となる。現段階の淡い期待として、今後の人工知能にその機能の進化をも望みたいものの、真の家庭内シンギュラリティは、今の人工知能の技術だけではやはり成し得ることが難しいのかもしれない。よって、ゴミ捨てと片づけは家庭内の永遠の仕事、となる。
1) ガナシア, JG: そろそろ、人工知能の真実を話そう. 早川書房. 2017.
2) http://healthpress.jp/2016/08/ai-10ibm-watson.html (閲覧2017.7.7)
3) http://blog.mobilus.co.jp/520/ (閲覧2017.7.7)
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