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社会の一集団である家族性という小集団に孕む問題


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題名:社会の一集団である家族性という小集団に孕む問題
報告者:ナンカイン

 表題に関して今更でもない話題ではある。しかしながら、霊長類の、中でもゴリラの研究で有名な京都大学の山極寿一博士によれば、家族という形態が、ヒトが人となった最大の要因とみなし、ヒト社会における家族性の重要性を説いている1)。そこで、ここでは、山極寿一博士の考えを踏まえつつ(踏まえてないかもしれないが)、筆者なりの生活感に基づく社会の一員である家族性という小集団について考えてみたい。
 地球を見渡すと、その家族性の形態には一夫一妻が最も多い。その他、一夫多妻や多夫一妻の形態も世界の一部の地域にはあるが、大多数は一夫一妻であろう。そのため、この形態を基準にして考えると、少なくとも日本においても一夫一妻が主だった最小の家族形態となる。それに加えて日本では、プラス一子、あるいは、プラス二子が最も多くあり、三子も時おり散見されるも、今ではかつてほど兄弟がいない家庭がほとんどである。そのため、大多数は一夫一妻プラス一子、または、プラス二子が日本では主だった家族性となろうか。すなわち、3人家族、または、4人家族の構成がそれに相当する。
 3人家族、または、4人家族の構成であれば、生活ラインの重要な役割として、①家事、②掃除、③育児が挙げられる。①の家事はその通りで、食事の準備や洗濯となる。場合によっては家事に掃除も含まれる。しかしながら、掃除はあえて除外して②とした。その理由として、食事の準備や洗濯は明らかに自分の身にまつわる行為となり、いうなれば、食事の準備をしないとヒトの生命として危うくなる。同じ考えで、洗濯をしないとやはりヒトの文化的な要素として大いに恥ずかしくことが推測できるからである(この記事も参照)。それは、例え、この記事にもあるように、その洗濯が腰回りの布切れ一つであったとして、それがヒトの他者の意識に対する最小の文化的な要素として考えると、見栄えするものでなければ、異性たる個体への魅力を減少させ、己が個体の遺伝を残す確率を低くさせる要因ともなりうる。要するに、男女ともに腰回りの布切れすらかっこよくなければ、他者から見て文化的に劣り、その結果として子孫を残せない。②の掃除は、異性たる個体が、己が個体の環境へ招いた際の安堵を生み出す要因となる。それは生活圏における安全性を保障することでもあり、将来への見通しともなる。一方、③の育児は、①の家事や②の掃除が満たされた後に起こりうる問題である。一夫一妻の時には問題視されない役割でありつつも、一夫一妻プラス一子、または、プラス二子、すなわち、3人家族、または、4人家族の構成となった場合に①、②を満たした上で、相当に大きな比重を占める。現在の3人家族、または、4人家族の方で、育児に関してもめない家族はほとんどないであろう。
 この①家事、②掃除、③育児に関して少しピンとくる方もあるかもしれない。それを分かりやすく示すと、①かじ、②そうじ、③いくじとなる。このひらがなを見て分かる通り、最後に同じ”じ”がくる。通常に生活をしている場合では、家族性として”じ”のままである。しかしながら、時として一夫一妻における①、②、③の衝突が、”じ”を”ぢ”に変える。まさしく、(食事中の方は申し訳ないが)、肛門付近から”血”が出る勢いである。特に③いくじに関して、③いくぢとなり、家族性がややもすれば崩壊寸前となる。
 ヒトの歴史を見れば、これら①、②、③を通して、ヒトは文化を形成し、ヒト独自の社会を生み出した。その根底として、家族性という小集団が、実は社会の一集団でもあり、その総体としてヒトの社会が存在する。このことから、家族を考えることによって、社会も見えてくる。そのはずであるが、③いくぢはヒトの文化の根底として一夫一妻プラス一子、または、プラス二子間では、ヒトの歴史の上でも難しい問題を孕んでいる。

1) 山極寿一: 家族進化論. 東京大学出版会. 2012.

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