題名:人生の可能性を塗りつぶす人の生きざま
報告者:ダレナン
人生はある時をもって、光陰の矢の如し、のように過ぎ去る日々が早くなる。光の矢は、その速さは299792458 m/sであり、アルバート・アインシュタイン博士が特殊相対性理論で述べているように、「光速度不変の原理」があり、誰にとっても光の速さは変わらない1)。そのため、時空間が歪んでも光の速さは変わることなく、宇宙規模では光に付随する時の流れも、宇宙人から観察しても、不変なはずである。ただ、年齢とともに感じる時の知覚は、どんどんとスピードを増す。それは、経験的に多くの人が感じることでもある。これはこれで不思議な現象である。
フランスの哲学者ポール・ジャネーとその甥の心理学者ピエール・ジャネーにより提唱された仮説に、「ジャネーの法則」がある2)。これは「感じられる時間の長さは、年齢と反比例的な関係にある」という説であるが2)、異論も多く、学者間では「ジャネーの法則」は「そうじゃねー」という意見もある。すなわち、一概には「感じられる時間の長さは、年齢と反比例的な関係にある」とはいえないことになる。天から与えられし時(光の速さ)は、誰でも同じスピードであっても、年齢によって時の知覚が違うのであれば、「それ、ちがうんじゃねー」の法則に至る。
一方、人生において人の生まれし時は、時の知覚もゆっくりで、無限の可能性から、白紙の状態でもある。遺伝的に約50%はその遺伝によって規定されているも、誰しもが自分の子に対して無限の可能性を信じているのは間違いない。すなわち、何も塗りつぶされていない白紙のキャンバスを、そこから時を経て塗りつぶすことで、やがて人生という絵画を完成させる。それが生まれし時である。そして、成長するにつれて、その白紙のキャンバスに色を塗りつつ、理想とする絵画を目指す。
光であれば、色を混合することで、より白色に近くなる(図)。いわば光の塗りつぶし中で、白色の枠に入れば、人生のスポットライトが混色によって最も白の状態で輝く。そして、その人の生きざまも、最も可能性にあふれることとなる。しかしながら、白色のキャンバスに赤、青、緑と混色すれば、次第に黒色に近い色となる。絵画を完成させようと筆を走らせても、いずれ大人になる。そして、腹黒くなる。人生の可能性をつぶしにつぶして、さらに、塗りつぶして真っ黒の状態となった時に、見事に腹黒くなる。可能性に満ち溢れたはずの白色のキャンバスは、もはやない。その状態で、
「俺の生きざまを見ろ!」
といわれても、キャンバスがすでに真っ黒では仕方がない。生きざまを見ろ、とまではいかないものの、往々にして、このような口ぶりの人に残された可能性は、真っ黒 (ない)であったりする。経験とは、時の知覚を歪める恐ろしい存在である。
図 光の混合3)
1) http://www.idea-sense.com/entry/2016/02/12/094000 (閲覧2018.6.20)
2) http://www.niigatakouseiren.jp/kariwa/1169/ (閲覧2018.6.20)
3) http://www.kepco.co.jp/energy_supply/energy/kids/science/topic13.html (閲覧2018.6.20)
From ここから。© 2015 This is 地底たる謎の研究室 version。