題名:こころの倉庫のキャパシティを決定づける、批判の批判を批判する方法論
報告者:ダレナン
2人の人の間では派閥は生まれない。しかしながら、3人集まれば派閥が生まれる。そこに、2人の間で結託が生まれれば、もう一人の立場はあやうくなる。表面上は3人仲良しでも、裏面では何かが照射する。
近年では、画像センサーに関して、CCDやCMOSを超える裏面照射型CMOSセンサーが生まれ、金属の配線部をセンサーのより下層に置くことで、弱い光でもフォトダイオードに受光できるようになった1)。それによって、暗い場所でも高感度で低ノイズな画像を生み出すことができる技術革新の恩恵を得た1)。しかしながら、人の場合における裏面照射は、人の暗部も表面に出現しやすい。そうすると、結託外の規格品は、あからさまなはみ出しをくらい、そのはみ出しは、結託外の規格品たる人の人柄を暗くする。その人が、仮に、ハイリー・センシティブ・パーソン(HSP)(*)であった場合、これは、人との接し方における技術低下を顕著に誘発する。その誘発に、よく用いられるやっかいな方法の一つに、批判がある。
批判の良い点は、ある物事を違う視点から確認することにあり、それによって、その物事の新たな展開を生み出すことが可能となる。これは所謂、建設的な意見としての、正しい批判となる。その一方で、ある物事への焦点ではなく、様々な商店のごとき、その人物に対するあらゆる批判をすると、売られた批判は、余剰な商品の積みかさねとなり、こころの倉庫からもそれらがあふれ出ることで、売られた人の倉庫のキャパシティがパンクする。批判(建設的な意見)なき、批判はただの罵倒に過ぎない。そうなると、結託外の規格品たる人の人柄は、もはや受光できない。暗い影を落とし、低感度で高ノイズな表情を纏う。
では、このような技術低下を防ぎ、技術革新すべく批判の方法は、あるのであろうか?
経営の神様と言われたPanasonic(旧National)の松下幸之助氏は、批判に対して、次のように考えていた。
「松下は批判に対する弁明が、新たな批判の誘因になることをよく知っていた。批判する者は最初から批判しようと決めているのだから、いくら正しいことを懇切丁寧に弁明しようと、聞く耳を持っていない。…略…。説明し弁明すればするほど、いよいよ批判は激しくなる。これが世間というものである。」3)である。それに対処する方法として、
「批判に対する説明、弁明は、言い換えればその批判にとらわれたことを意味している。そもそも、十分考え抜いたうえで自分がやっていることとは言え、100%正しいということはありえない。とらわれない心、素直な心で受けとめる。」3)としていた。
これらの方法論を言いなおすならば、松下氏は”批判の批判を批判した”とできるのかもしれない。そして、より技術革新に向かうべく、積極的なこころ構えが、松下幸之助氏にはあったことがよく分かる。さらには、見当外れの批判に対しても、松下氏は「なるほど、なるほど」と大抵は、うなずいて聞き、自分を批判する者であっても、大事にし、逆にその人たちを褒めたとのことである3)。
やはり、偉大な人は、こころの倉庫のキャパシティがとてつもなく広い。
*: 豊かで複雑な内的生活を送っているという自覚をもつが、それゆえに、物事に対して容易に驚き、短い時間にたくさんのことを成し遂げるよう要求されると混乱するという性質を持つ人のこと2)。
1) http://monoist.atmarkit.co.jp/mn/articles/0903/12/news113.html (閲覧2018.8.1)
2) https://ja.wikipedia.org/wiki/ハイリー・センシティブ・パーソン (閲覧2018.8.1)
3) https://toyokeizai.net/articles/-/81127 (閲覧2018.8.1)
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