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「お客様は神様です。」論考 -権威なき権力のはき違えた世界-


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題名:「お客様は神様です。」論考 -権威なき権力のはき違えた世界-
報告者:エゲンスキー

 本記事は、基本的にこの記事の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 「お客様は神様です。」とよく言われるフレーズであるが、その原点は文献1)にもあるように、歌手の三波春夫氏である。そして、その根拠は、聴衆・オーディエンスという「お客様」に対して、ステージに立つ演者、という形の中から生まれたフレーズとされる。すなわち、氏にとっては、「歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払って澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。だからお客様は絶対者、神様なのです。」1)から来ている。しかしながら、現在は、商店や飲食店などのお客様にまでこのフレーズが波及し、「俺は、金払ってんだ。だから、神様だろ。」という勘違いが横行している。以前にステーキ屋で同じようなやり取りのくだりを見たことがあり、ステーキのお肉が、「俺は、金払ってんだ。神様だろ。」的なスパイスによって、目の前の肉がまずくなったのを覚えている。本当にまずいのは、肉ではなく、そのお客であるが、従業員の人がいくら謝っても謝っても、暴言を吐くそのお客に対して、(おまえは、あほか)と感じざるをえない状況であった。いいスーツに、いかにもお金持ってるぞ、的な雰囲気であったそのお客は、何かをはき違えている。
 そのはき違えは、まさしく「世の中には本当に想像を絶するほどマナーの悪い客がいるものだ。まさしく自分は金を出しているから神扱いされるのが当然だと思っているのだろう。本来、ものを売るという行為はお金との対価交換であるから売り手と買い手は対等の立場のはずだ。」2)ということに根ざしている。
 なまじ「神様」としてタイトルを纏うと、そこに権威が生じる。ただし、権威とは、「いうことをきく」であって「いうことをきかせる」ではない(この記事を参照)。そこには、信頼関係があって成り立つのが権威であり、対等の立場をわきまえない「お客様」は、権力というお肉をまずくするスパイス振りまきたいだけの「お客様」、言い換えると、お店にとってはただの「疫病神」かもしれない。
 ただし、である。今日の社会は、この「お客様は神様です。」のように、権威と権力のはき違いで、下から来る権力によって(この記事を参照)、権威なき権力を生じやすい構造がある。
 権威は常に服従を要求するために、一般に権力と暴力の形態と取り違えられる3)。権威はそれ自体に正統性を有し、外的な強制力を持たないはずであるが、権威の座にあるものは、どこか高い位置から強制力を行使することで3)、はき違えた世界を振る舞う。それは、「疫病神」であっても、神というタイトルの座の下でも起こりうる。その例が、先のステーキ屋でのお客であろう。権威は、事実的な強制そのものでもなく、また理由づけの原理となる価値そのものでもなく、両者の”additive”として成立するもののであり3)、対等の立場でもって、既存の価値観や規範を組み換え、世界の更新可能性を担保するものとして4)、そこに権威的な働きを生じさせなければならない。権威なき権力は、時として暴力よりもたちの悪い、はき違いが生まれる。

1) http://www.minamiharuo.jp/profile/index2.html (閲覧2018.11.19)
2) http://netgeek.biz/archives/93565 (閲覧2018.11.19)
3) 藤田哲司: 権威的指示の受容原理: 権威現象の安定化メカニズム. 社会学評論 45: 364-377, 1994.
4) 田中智輝: 教育における「権威」の位置: H.アレントの暴力論をてがかりに. 教育学研究 83: 416-473, 2016.

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