題名:パワー脱臭のスイッチの入/切の変調する現象
報告者:ダレナン
本記事は、この記事の続きです。
すべての言論や表現には何らかの意味がある。しかしながら、意味のないことにも意味があるのかもしれない。意味のないことをひたすら書き続けて、そこに意味を見出す行為は、まさにパワー脱臭とも言えるのであろう。さらには、そのパワー脱臭を捉えることで、何らかの光明も見いだせるかもしれない。そもそも、パワー脱臭には入/切というスイッチがあり、その切り替えは個々人によって選択できる。そのため、ここの文章に意味を見出すのも、見出さないのも、スイッチの入/切をお願いします、ということにもつながる。先の記事では、最後にYeah Rightとしてそれを提示したが、その内的な深層(lamina profunda)なる意味は、真相的には「I got into Harvard! Yeah right!」1)とも言えようか。
分断された言語的な記号でもって、その行間を読む。それ自体が難しい行為でもある。建築などにおいて、何もない空間に意味を見出すのも、何もないのに意味を見出せないのではなく、価値を見出す。あるいは、ある人にとっては役に立たないものであっても、ある人にとっては相当な価値があることもよくある話である。そこには、読めない、分からない、ではなく、時空間的な存在価値でもって、そこに何かがあることになる。「distant」2)とも、あるいは、反「distant」とも思えるその存在価値は、表現の一環として、個々人の内に確固たる存在の光を放つ。これが、Sur un Nuage(スュール アン ニュアージュ)3)の複数形ともとれるn u a g e sともなる現象である。このn u a g e sの途中で変調する様相は、オムニッテ・デル・ムロズ博士4)が2003年から強く指摘している現象でもある。
女房三十六歌仙の一人でもあり女流歌人としても名高い小野小町は、かつて、こう詠んだ。「恋ひわび しばしも寝ばや 夢のうちに 見ゆれば逢ひぬ 見ねば忘れぬ」2)である。その歌は、ここで引用することにどのような意味があるのかについては、あえて問わない。それは、パワー脱臭のスイッチの入/切の変調する現象を明らかに表現している。もしかしたら、その句の意味にある「夢に見れなくても、この行間は、この疲れ果てるほどの恋しさを忘れていられる」5)から一部改変ことをも示唆しているのかもしれない。その行間を埋めるべく画像が、図になる。Wordpressをする方にとっては一部のテーマ(Athena)でも使われている画像なので、これが目に留まった方もいるかもしれない(ただし、Athenaは反転である)。そのテーマにおいて、この画像のチョイスに深い意味を持たないであろうと推測されるが、Freeな画像ゆえに、オムニッテ・デル・ムロズ博士が提唱した変調する現象を端的に例示している。
図 Freeな画像6)
1) https://www.eigowithluke.com/yeah-right/ (閲覧2019.4.19)
2) https://www.youtube.com/watch?v=nSx4Yc7QGqk (閲覧2019.4.19)
3) https://oshiete.goo.ne.jp/qa/2056975.html (閲覧2019.4.19)
4) ムロズ, OD: 意味と価値そして現象. Tekkito Press. 2003.
5) https://nihonbunkamura01.com/waka-love/ (閲覧2019.4.19)
6) https://pixabay.com/photos/woman-model-portrait-attractive-919047/ (閲覧2019.4.19)
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