題名:負荷上昇による著しい速度低下から、サーバーの臨死体験に関するあいまいな考察
報告者:ダレナン
サーバーの運用において、時に発生するのが、負荷上昇による著しい速度低下である。自らのサーバーの運用ではなく、レンタルサーバーによる運用でもそれは免れない。それは、レンタルサーバーの会社の規模にもよるのかもしれないが、アクセスしようとして、アクセスできません、との状況で調べると、障害・メンテナンス情報において、その状況が確認できる。近頃、それが頻繁に起こった。レンタルサーバー会社の運用の問題でなく、たぶん、何らかのアタック攻撃が増えている証拠なのかもしれない。それによって、Webサーバー停止を伴う緊急メンテナンスが発令される。その間は、いっさいアクセスできない。アクセス数の少ないサイトであれば、死活問題ではないが、アクセス数の多いサイトで、これが頻繁に起これば、サーバーの見直しもあることにも繋がろうか。幸いかどうかは別として、筆者はその心配はいらない。そのため、信頼してそのまま運用している。ただし、負荷に強いサーバーは、特にレンタルサーバーであれば、それ相応の契約金が掛かる。その辺は、アクセス数とサーバー能力のトレードオフ関係にもなろう。また、文献1)にもあるように、運用次第では、共用サーバー・専用サーバーとの選択にも繋がる。専用サーバーは、しかしながら、契約金も高い。わずかのアクセス数のために、専用サーバーを利用するのは、明らかにもったいない。ただし、「Web集客の成功には、自社サイトの目的に合ったレンタルサーバーが欠かせません。」2)というのも事実である。そのため、個人・会社問わず、Webでの死活問題をできるだけクリアするために、負荷上昇による著しい速度低下はない方がよいことは間違いない。アクセスできない = サイトの死を意味するからである。それが、例え、わずかの秒から数分であったとしても、である。
一方、人のわずかな時間の死というのも、時に体験された事例も少なくない。それが所謂臨死体験となる。自らの肉体と精神(意識or魂)との間に、アクセスできない状況が起こり、肉体的には死という判定を迎える。ただし、意識or魂は空中に浮遊し、自らの肉体的な死を高みから眺める。その肉体的な死が起きた時の多くの事例が、文献3)に数多く報告されているので、興味のある方はそちらを見ていただきたいが、それをきっかけに第二の人生を歩み始める人も少なくない。そして、かつては執着していた富や物質的な豊かさにはまったく関心がなくなり、代わりに人との和や精神的な豊かさ尊ぶようになる3)。Webでのサイトの臨死体験は、人に対して富への執着を促すのに対して、人の臨死体験は、人生でも最も大切なのは愛だと再認識する3)。臨死体験を経験したサーバーは、あいまいでも愛の感情も芽生えているのであろうか。
従来は、死後の世界に行ったとする記憶する臨死体験は、瀕死の状態の脳が生み出す幻想か、偽記憶に過ぎないとされ、疑似科学としての扱いであったが、近年では、臨死体験を脳の産物として学術的にも認知され始めた3)。オランダの心臓病専門医であったPim van Lommel博士ら4)も、62例に渡るNear-death experience(臨死体験)について、発表している。さらに、最新の量子力学的な見地からすれば、人の意識が体を飛び出し、死後の世界に行って帰ってくるのは、まんざらあり得ないことはない、ともされている3)。
1) https://www.cpi.ad.jp/column/column02/ (閲覧2019.4.25)
2) https://www.cpi.ad.jp/column/ (閲覧2019.4.25)
3) ロウ, E: 死んだ後には続きがあるのか -臨死体験と意識の科学最前線-. 扶桑社. 2016.
4) Van Lommel, P., et al.: Near-death experience in survivors of cardiac arrest: a prospective study in the Netherlands. Lancet 358: 2039-2045, 2001.
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