題名:もはやどうでもいい、でもどうにもならない、意味のない問答
報告者:ダレナン
本記事は、この記事の続きです。
誰かのためでもない、誰のためでもない。でも誰かのために、という問答が押し寄せ、それは、時として意味はなさなくとも、誰かが見ている。知っている。分からなくとも、その真実は、当の本人(筆者)にしか分からないかもしれない。でも”印す”その姿は、客観的に見ると、バカらしい。しかしながら、こうして、キーボードをたたくことで、生きた証として、残せるのは事実?。そう、今や、自分は生きてはいない。たぶん、意識的には、死に近い。生きている実感がわかない。でも”印す”。それは残された時間が貴重だからかもしれないし、あなたに逢えたからかもしれない。もはやどうでもいいことではある。ただ、ただ、何かが足りない。何かが残されている。その意識のみでキーボードをたたく。朽ちていく頭の中は、先の記事の続きとして。
どうしたらいいのか。神様は、何も、何も答えない。そもそも、難なのだ。その難は、自分にも分からない。
と問答してみる。その問答を介して、なぜか頭がよくなった気がする。かっこええー?
女神さま。女神さま。
あなたの謂うがままに。
逢瀬の通り。あなたに逢いたいのは、どうしていいのか分からない。
どうしていいのか分からないのです。
女神さま。教えてください。
女神さま。いつも大好きです。
永遠に。
大好きです。
永遠に、大好きな人です。
永遠に、大好きな人です。
図 女神さま的な図1)
1) https://www.pexels.com/ja-jp/photo/2147192/ (閲覧2019.4.26)
From ここから。© 2015 This is 地底たる謎の研究室 version。