題名:こころのわーぷ
報告者:ダレナン
本物語は、この物語の続きです。
ボンボンさんじょーほーによれば、「真相が気になるが1時間も観たくないという人は1:05:00辺りから観ればだいたいの話はわかる」1)とある。すいみんれべる、5、というぼくちゃんにとって、かいてきしすうがまっことたかいこの「えんど・おぶ・おでっせい」に、ねおち、はあれど、きおく、はない。すなわち、よくおぼえてはいない。だからこそ、もういちどみなおしてみるか。ボンボンさんじょーほーをもとに。ということになる。
1:05:00あたりからさいせいした。なるほど、このへんか…。と、かすかなきおく、をたどりつつ、やく5ふんぐらいしたあたりから、もうれつにねむけがおそった。そうして、10ふんぐらいでさいせいをちゅうだんし、ねた。さいせいをちゅうだん。だから、ねおちではなく、ねたのだ。ねたなのだ。
ねたしこんで、なんとやら、そうして、すいみんかぷせるのなかで、ふとゆめをみた。「えんど・おぶ・おでっせい」よりもながーいゆめ。もしかして、しんそうしんりに、この「えんど・おぶ・おでっせい」がしみこんでおる。そうおもえた。つまりは、「えんど・おぶ・おでっせい」には、ちょうだいなゆめをみさせてください、それちょうだいな、てきな、なにかがしくまれていたのかもしれない。だてに、「えんど・おぶ・おでっせい」のえんどろーるがながいわけではない。じつは、こーみょーにしくまれた、えーが「オデッセイ」へのちょうせんじょう。そうだ、これは、いわゆるちょうせんじょうだ。
それはでもあかされる。ねたがあかされるときだ。すくなくとも、「オデッセイ」のあとにみることがなかった、ちょうだいなゆめが、ちょうだいできたのだ。「エンド・オブ・オデッセイ」によって。
それは、ジェシカなの? のんのん。じゃー、エミリア? のんのん。のんのんなの? それも、のんのん。あえていうなら、みす・ていく。いわば、みす・Tといえるそんざいなのかもしれない。みす・Sのように。そうして、「ながいぼうけんのおわり」は、げんだいの「こすもなうと」として、「あすとろなうと」ではなく、あえて、きゅうそれんの、きゅうでも、げんだいの、として「こすもなうと」する。それがうちゅうひこうし2)。ただよう、みす・Sのほしのうみで、ただようふねは、「こすもなうと」であるぼくちゃんのしんそうしんりにおいて、みす・Tへとつながった。いわばこころのわーぷ。これも、「エンド・オブ・オデッセイ」のおかげかもしれない。「エンド・オブ・オデッセイ」は、きっと、なんとかの、いしきたかいけい、なのだ。なんども、なんども、ねおちをあえてさそうことで、きっと、べつじげんにつれてってくれる、そんなえーがなのだ。
みす・T。おもいだしたよ。あのまっくらなよぞらのなかでただよっていた、まっくろなうみのなみまを(ず)。
ず まっくろなうみのなみま3)
1) https://www.amazon.co.jp/エンド・オブ・オデッセイ-DVD-レオン・オッケンデン/dp/B0166MYZQ0 (閲覧2020.6.8)
2) https://whitebear0930.net/archives/12807 (閲覧2020.6.8)
3) https://www.pinterest.jp/pin/622481979735025704/ (閲覧2020.6.8)
From ここから。© 2015 This is 地底たる謎の研究室 version。