題名:生粋のビートルズファン
報告者:ダレナン
本物語は、この物語の続きです。
そんなこんなで未知なる道を進むことにした。これは僕、「田宮平十郎の歴史」を記すいい機会にもなる。
ちなみに僕は1982年10月11日生まれだから、39歳を迎えようとする今はまだ38歳だ。あと1か月ほどで39歳になる。40目前。人生の危機が始まっている、なんてね。
妻一人34歳、子、娘一人(7歳)の平凡な家庭構成。
職業は転々として、平凡な大学の建築学科を卒業後、意気揚々に建築会社に勤めたものの、だんだんと自分が目指す理想的な建築とは異なっているように感じて、26歳の時に思い切って転職した。小さなイベント会社だった。ただ、新型コロナウイルスのあおりを受け、その会社も倒産し、37歳の時に職安へ行くはめになった。現在の仕事は…。いやこれを書くと妻にはバレちゃうかな…。
そうそう、妻とは建築会社の時に出逢った。彼女は庶務課だったはず。
結婚したのは28歳の時だった。妻には内緒だが、イベント会社に転職した時に華々しい業界で、当時持て余す性欲もあってか、妻と付き合っている27歳の時に実はセフレもいた。彼女は30歳ぐらいの人妻だったはず。子供もいないために、暇を持て余していた人だった。
確か…そうだったはず。ここだから、書ける話だ。妻にはこのブログのことは内緒にしている。だから、彼女にはこのことを伝えないでほしい。あくまでも内緒の話にしてくれ。
誘うと彼女はもともと僕に興味があったこともあって簡単に応じた。その日の夕方にベッドインした。それから1年関係が続き、彼女の夫の転勤とともにその関係が終わった。
その後に妻と結婚し、31歳の時に娘が産まれた。
さすがに娘がまだ幼稚園の年長での会社の倒産はきつかった。今から小学校で無職。新型コロナウイルスは僕の人生を大きく変えたことになる。倒産か、父さん…、父さんと言えば、そうそう、このことも書かないと。
父さんから僕につけた名前が平十郎。古風で、時代にそぐわない妙な名前。いささか小学校の頃はこの名でいじめられたこともあった。ただ、亡くなった父さん、僕が30歳の時に若くして定年を待たずに58歳で亡くなった父さんの唯一の趣味がギターだった。彼は昔からの生粋のビートルズファンで、だから「ヘイ、ジュード」が平十郎となったことを亡くなる直前に彼から聞いた。なんてこった…。
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