題名:室内でもない、屋外でもない、第3の空間
報告者:エゲンスキー
家庭という字をよく見ると、そこには面白いものが見えてくる。すなわち、家+庭である1)。その家庭は、英語でhomeやfamilyとなるが、homeの語源は、家、家屋、あるいは、ふるさと・場所を示し1)、そこには家の概念はあれども、庭の概念はない。同じように、familyの語源は、家族、家柄、あるいは、名門・一族を示し2)、ここにも庭の概念はない。日本語で家庭と言えば、家屋でもあり、家族でもあり、その両方が混ざった微妙な塩梅となる。これを海外の人に問えば、日本らしいファジー(あいまい)な用語の一つともなるのかもしれない。
その家庭であるが、前述したように家+庭であることから、実は家だけではなくて、そこに庭があるから家庭となる、と見てとれる。すなわち、家だけではなく、庭もあるからこそ家庭となる。日本でこのようなあいまいな用語が生まれた背景には、実は縁側の存在が欠かせない。縁側でお茶を飲むという風景は、日本人なら誰でも思い描くことができる情景であるが(この記事を参照.)、この縁側は、よくよく考えると不思議な空間である。所謂、雨風を完全に凌ぐことができない閉じられた空間ではないため、室内とは言えない。しかしながら、そこに床があることから、完全な屋外でもない空間である。言い換えれば、家と庭をつなぐ、第3の空間と言えるかもしれない。しかしながら、日本では神社などに見られるように、この縁側のような第3の空間の存在は、日本人では当たり前であったため、今まではあまり注目されていなかった空間である。そこに、海外の方が目をつけると、日本人とは異なる縁側の存在が浮かび上がることがある。
フランス人の研究者であり、現在日本の総合地球環境学研究所で研究されているエマニュエル・マレス氏の著による「縁側から庭へ フランスからの京都回顧録」は、その縁側の、海外の人からの目で、その第3の空間の存在を明らかにしてくれる。所謂、回想録としての体裁ではあるが、そこには異国のフランスから日本に来て、縁側をどのように感じるのかという科学的な視点でもって記述されている。図に本の表紙を示す。実は縁側という空間だけでなく、近年失われつつある家庭という語源のもつ意味も本書からよく見えてくる。あるいは、縁側の縁はその字の通り、「縁(えん)」であるが、この縁の持つ意味をも教えてくれる。
人は、その字の通り、支えあって始めて人となる。人と人をつなぐ縁はその支えの裏付けとも言え、縁があるからこそ、人は生きる希望へとつながる。縁側は、そのような人と人との関わりを生み出し、生きる希望へとつなぐ空間であり、また、庭に開放された状態は、人は自然の一部であると感じられる空間でもある。このことから、縁側には、家庭という語との深い関係が見出せる。
図 「縁側から庭へ」の表紙4)
1) http://www.ueji.jp/pages/1506seika.pdf (閲覧2016.2.24)
2) https://ja.wiktionary.org/wiki/home (閲覧2016.2.24)
3) http://ejje.weblio.jp/content/family (閲覧2016.2.24)
4) http://www.amazon.co.jp/縁側から庭へ―フランスからの京都回顧録-エマニュエル-マレス/dp/4901903918/ (閲覧2016.2.24)
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