地底たる謎の研究室

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バウハウスからバウハウスへ



「宇宙コロニー( Off-world colonies )での新しい生活が貴方を待っています。チャンスと冒険に満ちた黄金の土地に、再び巡ってきた好運。」 “A new life awaits you in the Off-world colonies. The chance to begin again in a golden land of opportunity and adventure.”

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題名:バウハウスからバウハウスへ
報告者:ゴンベ

 バウハウスとは、1919年、第一次世界大戦後にドイツ中部の街ワイマール共和国に設立された世界初の美術学校のことで1)、デザイン界では避けては通れない存在である。しかしながら、ナチスの迫害によって1933年に閉鎖され、実質14年しか活動していない学校でもある。初代の校長は建築家ワルター・グロピウス、二代目の校長は同じく建築家のハンネス・マイヤー、三代目の校長は近代建築の巨匠であるミース・ファン・デル・ローエが務めたが1)、バウハウスは建築だけではなく、家具やツール、タイポグラフィー、ポスター、写真など様々なデザインに多大な影響を残した。その当時の一連の資料がハーバード大学美術館の協力の元、インターネット上にも公開されている2)。その内容は、今から約90年前のものとは思えないくらいに、非常にクオリティが高い。当時の教師陣もパウル・クレー、ジョゼフ・アルバース、ワシリー・カンディンスキー、ラースロー・モホイ=ナジ、ヘルベルト・バイヤー3)と一流の人ばかりであり、たった14年でもこの学校が存在したことすら奇跡でもある。ゆえに、デザイン界では、今でも特別な存在感を放ってる。
 一方、バウハウスと検索すると、美術学校のバウハウス以外でもヒットすることがある。それが、イギリスのバンドのバウハウスである4)。1979年に結成し、後に同じメンバーで再結成するも、初期のバウハウスは1983年の5年で解散している。図に初期のころのバウハウスを示す。図の左からデヴィッド・J(B)、ケヴィン・ハスキンス(Dr)、ピーター・マーフィー(Vo)、ダニエル・アッシュ(G)になる。むろんバンド名の由来は、先の美術学校のバウハウスからになる。このバンドのバウハウスは、初期は実質4年の活動であったが、今で言うゴシック・ロックの先駆者でもあり、そのためアンダーグラウンドな様相でありつつも、根強い人気が高く、一時期の再結成はその人気によるものでもあろう。1983年当時の解散理由は他のバンドでもよくあるようにメンバー間の衝突である。



図 初期のバウハウス5)

その真の理由は、バウハウスをよく知る人にとっては今さらでもない情報でもあるが、正確にはVoのピーター・マフィーと、その他のメンバー、特にGのダニエル・アッシュとの軋轢でもある。ピーター・マフィーを外せば、その後はラブ・アンド・ロケッツというバンドとして活動することとなる。
 初期のバウハウスは、「1979-1983ベスト・オブ・バウハウス」などで聞くことができる一方、明らかに1979年での緊張感のある音から1983年に従ってやや丸くなる音への流れは、当時の音楽の世相を語るとともに、美術学校のバウハウスと同じく時代の流れに翻弄され、終焉したかのようにも思える。しかしながら、ゴシック・ロックというジャンルでは、今でも特別な存在感を放っているバンドでもある。



1) https://bulan.co/swings/about_bauhaus/ (閲覧2017.4.7)
2) http://www.harvardartmuseums.org/tour/the-bauhaus/ (閲覧2017.4.7)
3) https://99designs.jp/blog/design-trends/デザインの歴史を知ろう:バウハウス・ムーブメ/ (閲覧2017.4.7)
4) https://ja.wikipedia.org/wiki/バウハウス_(バンド) (閲覧2017.4.7)
5) http://hostess.co.jp/artists/bauhaus/ (閲覧2017.4.7)

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