題名:天才の再考
報告者:ダレナン
人が生まれてからの特徴は、半分は遺伝によって決定されている。残り半分は生まれてからの学習によって決定される。そのため、一般的に、その割合は、50:50と分けられていることが多い。しかしながら、これを簡単に分けることができないのも事実であり、50:50という割合は、ある意味どっちつかずの状態でもある。ゆえに、そこには、氏か育ちか論争の決着がつかないことをも、この割合は内包している。
アメリカ合衆国の発明家であったトーマス・エジソンは、「天才とは1%のインスピレーションと99%の努力である」としたが、この言葉の裏は様々な解釈があり、「99%の努力をすれば、1%のインスピレーションが生まれる→努力をすれば、天才になれる」というものや、「1%のインスピレーションがなければ、99%の努力は無駄になる→努力しても、天才にはなれない」というものなどがある。前者の解釈であれば努力できるが、後者の解釈では努力する自体に意味がなくなる。しかしながら、「天才には努力が必要」とされることには一致した見解である1)。言い方を変えれば、「それだけの努力できること自体が、天才の証」でもある。
ここで、仮に才能と努力の段階から、人がどの位置に存在できるかによって、天才と成り得るのかを考えてみたい。表のように才能を0~10までの段階とし、努力を0~10までの段階とする。
表 才能と努力の関係性
才能と努力の関係を、+か、×で表すと、+ではどの才能と努力の段階でも10となり、×ではその段階に応じて変化する。このことから、少なくとも地球上の全人間が平均的であれば、+が関係性としてふさわしいことが理解できるが、そうでないのは誰もが認めるところである。ゆえに、才能と努力は+の関係ではないことが分かる。逆に才能×努力であれば、才能もそこそこにあり、努力もそこそこにあれば、最終的な×の関係性は高くなることが分かる。この才能×努力を図示すると図のようになる。
IQの高い子供をギフテッドと呼ぶが、IQ115以上の賢明なギフテッドは、6人に1人の割合で、上位16%とされる2)。 そこで、この図において上位16%を天才として位置づけると、最大25×0.84で21以上の値であれば、賢明な天才として位置づけられるのかもしれない。才能と努力でこれを別個に見ると、才能は3~7段階、努力も同じく3~7段階のレベルが賢明な天才として必須となる。
この×の関係性から、いくら努力しても才能がなければ、上位16%に入れず、逆もしかりである。やはり天才となるためには、それ相応の才能とそれ相応の努力が必要となる
図 才能×努力の図示
ことは間違いないであろう。
1) https://ja.wikipedia.org/wiki/トーマス・エジソン (閲覧2017.4.10)
2) http://naraigoto-kids.jp/magazine/childhood-education/あなたの周りにもいる!?高い知能を持つ天才児/ (閲覧2017.4.10)
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