地底たる謎の研究室

3000km深から愛をこめて

シンコーるなき愛は、”物”で着飾ったとしても、こころの装飾は得られない


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題名:シンコーるなき愛は、”物”で着飾ったとしても、こころの装飾は得られない
報告者:ナンカイン

 本記事は、基本的にこの記事の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 先の記事で、お金が欲する信仰は、信仰を欲する愛となる、ことを示した。そのことによって、お金と愛との間には、実は信仰が貼り付いていることに気づいた。この貼り付いている信仰を仮称として、シンコーるとすると、結局は、こころの装飾(interior of heart)を彩りつつ、かつ、色めかせるのは、シンコーるに他ならない、と言えようか。そこで、ここでは、そのシンコーるに関して論議したい。
 シンコーるとは、まさしく国内最大級のインテリアメーカー、シンコールをもじったものであるが、信仰とシンコールでもって、こころの装飾を思い浮かべることが出来よう。カーテンにしろ、クロスにしろ、これらはその物自体では存在を示さない。しかしながら、家内(いえない)でそれを纏わせると、まさしく、愛に信仰が纏わるかの如く、家内(いえない)にシンコーるが目覚める。
 一方、家内(いえない)は、家内(かない)と呼ぶことが出来る。現在の社会情勢から、所謂妻が家にいて、夫が外に働きに出る、ということは少なくなり、夫婦共稼ぎの世帯が多くなったことから、家内(かない)という言葉はやや死語になりつつある。しかしながら、かつては働いていたものの、夫の稼ぎがよいとなると、家内(かない)に収まることもある。ただし、専業主婦という響きは魅力的な一方で、そのため、やや社会との接点が失われることもしばしばである。それもきっかけとして、次第に、かつてあったであろう夫への愛の信仰も薄れ、シンコーるの纏いも見失われる。そこで、夫がシンコーるのベールを、お金での”物”によって、つどつど妻に纏わせるものの、”物”は”物”であっても、シンコーるを伴う”もの”ではなくなり、ふと、ある時に夫とは別の男性からの愛のシンコーるによって、”モノ”レールが引かれる。そして、その”モノ”レールでもって、女性も愛も惹かれる。それを具体化した映画の一つにフランスのカトリーヌ・コルシニ監督による「熟れた本能」があろう。「熟れた本能」とはいささか閉口する題ではあるが、これはむろん邦題であり、原題は「Partir(旅立ち)」である。この映画を観た方なら分かると思うが、あまりにも作者の意図を無視したが如くひどい邦題に、あきれ放題となるかもしれない。邦題で間違いなく損をしている、損をさせられている映画の一本でもあろう。図に原題の方のポスターを示す。主演の女優さんは、アンソニー・ミンゲラ監督の「イングリッシュ・ペイシェント」にも出演しているクリスティン・スコット=トーマスさんである。



図 「Partir」のポスター1)

 話自体は不倫ではあるものの、文献2)の監督のインタビューにもあるように映画の真の意図は、「愛というものは非常に危険なものであるという例でもある。夫婦の間でも求めているものが違ってくると破壊へと向かっていく。ある時、それに気付いたら全く違う方向を向いていてズレが生じる。そこから夫婦は傷付け合うのです。」を描くことにある。
 結局は、シンコーるなき愛は、”物”で着飾ったとしても、こころの装飾は得られない、例でもあろう。

1) http://papystreaming.com/fr/p/partir/ (閲覧2019.1.17)
2) http://cineref.com/kaiken/tabi.html (閲覧2019.1.17)

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