題名:サイレンの音
報告者:ダレナン
本物語は、この物語の続きです。
僕が消えても、世界からは何かが失われるわけではない。次から次へと新たな会社が起業し、結局は生き残ったものだけが世界を継ぐ。でも、僕にはもうその継ぐ意思は残されてはいなかった。
本を読んでもまったく意味が理解できなかった。経営に関する啓蒙書などはもう意識の中にはなかった。僕はすでに失われてしまった何かについて、もう何も考えたくはなかった。ただ、ひたすら、妻のやさしさだけが身に染みていた。妻を悲しませるようなことはあってはならない、と自分に言い聞かせても、自分がこの世から抹消されたいという気持ちは全くなくならなかった。
「僕は、もう、この世界に、無用な人間なんだ」
妻が毎朝作ってくれた朝食については、僕は、彼女に心配をかけないように、極力食べるように努めた。彼女には極力、美味しいとの言葉も伝えた。でも、味はしなかった。
そして妻が仕事に出かけると、その食べたものの多くはトイレで吐いた。まずいからではなく、食物自体が胃に受けつけなかったからだった。僕は、目に見えて痩せた。そのことを妻は心配してくれたものの、意に反して、食物が胃に受けつけない状況を正確には妻に伝えることが出来なかった。
ただ、日々を布団の中で過ごした。それで、さほどエネルギー消費することなく、最低限の生命は保たれたようだった。それに反して、自分が消えたい感情は、日増しにエネルギーが高まっていた。
「僕は生きていてもしかたがない」
「なぜ、ここに僕が存在しているのだろうか」
「僕はこの世界で無用の人間なんだ、もうやめたい。何もかも終わりにしたい…」
日々、ベッド上で問答しつつ、次第に何も考えられなくなっていった。
ある時、部屋に一角にちょうど紐をつるすとよい感じの突起物が見えた。そこにぶら下がる自分が見えた。
そのイメージは汚物などなくクリーアーだったが、そこに紐をかけ、自分の首を吊るし、その行為がとても意味あることのように思い始めていた。
その時から、紐のつるし方、そしてそこへの自分の首の入れ方、そういうのを具体的に考え始めた。それは僕にとって生きる証だった。
悲しむ妻が瞼に浮かんだ。それ以上に、僕の生きる証がその紐を通して彼方に繋がっていた。
ある日の朝、トイレに向かって嘔吐した後に、整理棚の中にプラひもがあることに気付いた。段ボールやら、荷物を梱包するあれだった。
その後のことは全く覚えていない。目が覚めると、僕の名前を呼んでいる泣きじゃくる妻の顔が見えた。それは一瞬、幻かと思った。でも、そこに僕は妻のぬくもりを感じることができた。手足が少ししびれていた。遠くで救急車のサイレンの音が聞こえていた。
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