命令型と提案型の教えの違いがもたらす最終的な効果



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題名:命令型と提案型の教えの違いがもたらす最終的な効果
報告者:ナンカイン

 ある人に望ましい行為をしてほしいと願う時、あなたは命令型でするのであろうか、それとも、提案型でするのであろうか。例えば、よくある例として、自身の子に、

命令型:...しなさい。
提案型:...するといいよね。

とどちらをよく選んでいるであろうか。
 人生を長く生きると、つい自分の経験で物事を判断し、相手に命令型を押しつける。それが、教えをさとしたい側にとっては当然のことだと思い込んでいるからでもある。しかしながら、その教えを理解してもらいたい側は、命令型でもって「分かりました。」と言って実行するも、そこに、そうしたことに対する、本当の理解に繋がっているかは分からない。それは、教えられた側は、教えられたと言うよりも、正しくは実行を促されただけであり、「こういう命令で、こういう実行をしなさい。」といったある種、旧来のプログラミングと同じである。機械であれば、正しい命令であれば、正しく実行する。しかしながら、人間では成長するにつれて自分で判断することが求められる。すなわち、社会からの命令が減らされるのである。理解していなかった教えを本当に理解していなければいけなかった側は、命令が少なくなる、なくなることで、実行する処理がやがてストップしてしまう。言い換えれば、人間という機械がストップしまうことに他ならない。命令型で成長した人間の行く末でもある。
 それでは、提案型で相手に教えをさとしたとしたらどうなるであろうか。提案型であれば、教えをさとしたい側も、「なぜそれをしないといけないのか?」という理解がないと教えを理解してもらいたい側に明確な提案ができない。そのため、教えをさとしたい側にも自分の経験だけではなく、様々な状況判断下での案から、最良の提案を選んでいるはずである。ことわざにあるように、このような様々な案からの状況判断は、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とも言え、教えを理解しなければいけない側は、ゆくゆくは賢者と同じくして、「なぜそれをすることがよいのか?」という理解に繋がる。このことにより、社会を生きる上で、やがて命令がなくとも、自分で実行できる側の人間に育つ。すなわち、自分自身をプログラミングすることができる人間となる。ある意味、これは人工知能ならぬ、人間の知恵と言い換えることができようか。知恵が豊富な人間は、自身をプログラミングすることに長けている。
 この記事にもあるように、機械の人工知能はどんどんと進化している。今はまだ機械と言えるが、そのうちに人工生命とも呼ばれる状態にまで、この先人工知能が進化することは間違いない。その機械がやがて意思を持った時、命令型で育った人間は、機械の命令で行動を実行させられてしまうことも起こりうる。知恵がなく、自己プログラミングができずに育った人間は、自己プログラミングできる人工知能に最終的な判断で劣る結果を招く。オックスフォード大学のFreyとOsborneの報告にもあるように1)、あと20年経過すると人間的な知恵を必要としない仕事は淘汰され、命令型の人間は人工知能に制覇される運命にある。

1) Frey, CB, Osborne, MA: The future of employment: How susceptible are jobs to computerisation?. OMS working paper. 2013.

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