題名:”情動”と”感情”を整理する -残酷な天使のテーゼへの序章-
報告者:ナンカイン
ヒトはあらゆることを短時間に判断する。それは、過去に経験で得られた知識、それに基づく体験、あるいは、歴史上の人物から学んだ事物から、に頼る一つの生きる上での生物的な戦略でもある。例えば、目の前の蛇にいるとしよう。そのヘビがこっちに向かっている。あるヒトは、そのヘビに驚くことなく捕まえようとする。仮に、そのヘビが毒ヘビでなかった場合は、あわよくばそのヒトは生き延びることができるかもしれない。しかしながら、そのヘビが毒ヘビであった場合は、時にそのヒトは死に至るであろう。ここで、向かってくるヘビに対して、前もって危険なヘビであるという知識があれば、遠回りに避けることを判断するに違いない。あるいは、同じヘビで過去に死んでいるヒトを知っている経験もそのヘビを避けようと判断材料となろう。あるいは、ヘビの毒の知識が過去の遺産としてそのヒトの周りにすでに確立していたなら、これも同じくそのヘビには近づけない・づかないであろう。今の時代でも、多くのヒトがヘビを見て、何かしらの”感情”が沸き起こるのは、遺伝的にも、ヒトにヘビに関する知識がおのずと刻まれている証かもしれない。
ここで、”感情”と似た言葉として浮かぶ言葉として”情動”がある。この2つの言葉の違いについて考えると、”感情”とは英語で”Feeling”、”情動”は英語で”Emotion”となる。辞典によれば、”Feeling”とは喜怒哀楽などの一般的な感情で、理性に対する感情を表し、”Emotion” よりも穏やかで感覚的なものとされる1)。一方、”Emotion”は態度に表れた強い「感情」、”Feeling”となる1)。確かに、”情動”には動という字が存在し、動きを表す。英語でも”Emotion”はe-motionとなり、日本語と同じくしてmotion(動き)がある。このことから、脳内で芽生えた”感情”が、表出することによって、それは”情動”へとなる。
にこやかな笑顔をしていても、目の前に嫌なヒトがいるという”感情”が沸き起こると、自然にまぶたがぴくぴくと痙攣する、そのような”情動”が起こることもある。好きなヒトを前にして、自然に顔がほてる、それも”情動”と見なせるのかもしれない。まさしく”情動”は、”感情”の具体的な行動の表出となり、その行動は、よいもわるいも無意識のうちになされる。さらに、それは、”感情”から直接繋がるとともに、先の知識よりも短時間のうちに瞬時に”情動”へと発現する。このことから、”情動”はセルフコントロールが効かない。実は”情動”の特徴は、知識(理性)の下層にある、「どこからか降りかかってくる」2)やっかいなものである。
その「どこから降りかかってくる」ような”情動”について個人の状況との中心的テーマとの関係から分類すると、図のようになる。これを見ると明らかであるが、ヒトの”感情”からもたらされる中心的なテーゼ(命題)でもある。すなわち、やっかいなことに”情動”は、ヒトが活動を営む上でのある意味、本質となることを、この図は示しているのではないだろうか。ゆえに、”情動”は、残酷な天使のテーゼへの序章となりうる。
図 ”情動”における個人の状況との中心的テーマ2)
1) http://synonym.englishresearch.jp/details/feelings.html (閲覧2017.10.25)
2) 遠藤利彦: 瞬時的なセンサーとしての情動の世界. 海保博之(編): 瞬間情報処理の心理学. 福村出版. 2000.
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