地底たる謎の研究室

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ダンスの語りにくさ -流動する身体運動の私的芸術論-


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題名:ダンスの語りにくさ -流動する身体運動の私的芸術論-
報告者:ナンカイン

 本記事は、基本的にこの記事の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 先の記事にて「瀕死の白鳥(The Dying Swan)」のバレエについて考えるとともに、その「瀕死の白鳥」を見事なパフォーマンスに変えたデンマークの芸術家Peter Callesen氏に迫った。ここでは、バレエをより広義の内容としつつ、舞踏(ダンス)についてより深く捉えたい。
 ヒトの歴史の中で、最たる発明は、と問えば、やはり文字になるであろう。紀元前1700年頃のハンムラビ法典には、くさび文字によって都市性格への規範と厳罰が記され、「目には目を、歯には歯を」と今でも通じる記述がある1)。これによって、直接的な会話でなくとも、人と人の間にコミュニケーションが成立した。さらに、紀元前700年頃にはギリシア人によってアルファベットが発明され、人類の知識の蓄えが文字によって共通の知識へと至る。このようにして、文字には当世、後世に関わらず、何かしらの痕跡を残すことができる。本記事も日本語ではあるが、これによってWeb上に何らかの痕跡を残しているとも言える。しかしながら、ダンスについては、痕跡を残しにくい。現在では映像という手段によって容易にそれが可能となったものの、文字のような記述でもってするダンスの痕跡は、今もって表現しにくい。例えば、先の記事に例示した、Maya Mikhailovna Plisetskaya氏による「瀕死の白鳥」の一場面を文字で表現すると、「両手を上に高く挙げて、つま先で立って、くるくると身体を回す」となる。この表現でPlisetskaya氏による「瀕死の白鳥」を表現できたとはとても思えない。そこに、文字による表現とダンスという身体運動の表現の間に大きな乖離が生じる。当代きっての文壇家であっても、Plisetskaya氏による「瀕死の白鳥」の様子は、文字では完全には表現できないであろう。そこに、ダンスの語りにくさがある。そのため、ダンスは絵画、彫刻、詩、音楽などの痕跡を残しやすい他の芸術と比較して、過小評価されがちであり2)、自然な表現力や即興性というダンスならではの利点もあるが、芸術の評価としては欠点となりやすい。そのことから、如何にしてダンスを哲学として捉えるべきかの論議が巻き起こる2)。
 バレエであれば、ミハイロフスキーバレエ団(旧レニングラード国立バレエ団)のプリンシパルであるIrina Perren氏とMarat Shemiunov氏による表現を見てみると、図のようになる。両氏のバレエの一場面であるが、これを見て芸術でないと言える人はまずいないであろうが、バレエがこの画像のように止まっているものであると言える人もいないであろう。流動する



図 Irina Perren氏とMarat Shemiunov氏3)

身体運動は一瞬一瞬の芸術的瞬間の積み重ねによって人を感動させる。

1) http://www.y-history.net/appendix/wh0101-020.html (閲覧2017.12.5)
2) https://plato.stanford.edu/entries/dance/#Bib (閲覧2017.12.5)
3) https://cdn.rbth.com/web/jp-rbth/images/2017-01/extra/marat-ira-0048-1_2.jpg (閲覧2017.12.5)

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