地底たる謎の研究室

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だんだんとものがなくなる、は何故か。


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題名:だんだんとものがなくなる、は何故か。
報告者:ナンカイン

 本記事は、基本的にこの記事の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 先の記事で、だんだんと物があふれる現象について、自戒も含めて記述した。それは、研究ではないかもしれないが、自己反省にまつわる研究の一端でもあろうことを、ここで言い訳をしつつ、本記事ではだんだんと(大人になると)ものがなくなる、について考察したい。
 大人になるとなくなる、もの、がある。ここで、物・モノ・ものの詳細な違いについては、ここの記事を参照していただきたいが、ものを具体的な形のない精神的なものとすると、大人になってなくなるものは、子供心であろうか。心は、まさに物質的にも形がないために、もの、となる。
 この子供心を知るために、一つの例として、りんごを頭の中に浮かべてみたい。生まれた時は、りんごなぞ知らない。ましてや、りんごが赤だとか、青だとかの色はもちろん、種類もしらない。そのため、影も形も色もない、りんご?となる。それがやがて色や形が判別できると、心の中のりんご?は、りんご、となる。ここで、心的に、りんごが形作られる。それが学習に伴い目の前にあるりんごが、明確に色・形でもって認識できる。そうすると、りんごは、リンゴとなる。心の中に明確なりんごが形作られ、リンゴに化ける。それがやがて食べる、味わう、それが何かと明確に認識できることで、リンゴはいつしか林檎となる。すると、そこには、心の中の形だけでなく、外界にある存在としての林檎が生まれる。これによって、人はりんご?、から、りんご、リンゴ、林檎として記憶される。その過程において明らかに得られるものと失われる心がある。何も知らないから、何かを知っている、である。真っ白な無垢な心は、知識という形式でもって、線引きがなされる。
 空間でこれを問うと、まったくない無秩序な空間に、秩序が生まれた空間へと移転することになろうか。ただし、この空間はヒトの心に限って問えば、宇宙の形成と近似できるかもしれない。何もない空間が、ビックバンに伴って、宇宙として形成されるとともに、宇宙が膨張する過程で塊として星が生じる。塊はいわば、りんご?から林檎への過程でもある。宇宙は未だに膨張し、アルバート・アインシュタイン博士が、自らが否定的であったアインシュタイン方程式の宇宙項(式1)の下記のΛ)が宇宙の膨張を示し、それがとどまるのか、あるいは



縮小へ転じるのかは、今はまだ未定であるが、ヒトの心は、ある時を境に縮小に転じる。大人になると、過去の知識で論じ、不平・不満ばかり述べ、かつての子供の頃の膨張していた心がなくなり、気づくと針の先ほどの小さな心へと縮小している。へたするとブラックホールのごとき、闇を吸い込むほどに縮小する。拡張する子供心の未来への展望は、気づかず失われる。これは、もの、が亡くなったとも言い換えることができよう。
 そうすると、ヒトの心と同じで、宇宙もやがて縮小する運命にあるのかもしれない。

1) http://uchuyugakukan.com/ブラックホールであることの決め手は?/ (閲覧2018.9.13)

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