地底たる謎の研究室

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お金と物


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題名:お金と物
報告者:ナンカイン

 以前に、ここの記事にて「お金と情報」との観点から、情報への価値について思索を巡らせた。ここでは、改めて「お金と物」との観点からその思索を見直し、お金と物との関係について問い直したい。
 まず始めに、物について定義したい。日本語で示すと、ここの記事と同じく、物には3つの側面がある。一つは有形する物として、漢字による”物”、もう一つは無形、実在しないが精神的(概念的)な物として、ひらがなの”もの”がある。そして、それらの両者を繋ぐ物として、カタカナの”モノ”がある1)。この考えは、この記事でも触れた。そして、物の3つの側面をお金で言い換えると、紙の紙幣や鉱物による貨幣そのものは、”物”であり、それらの信用度、所謂1000円であれば、1000円の価値感的な概念として、”もの”となる。さらに、その価値観で”物”に変える前の物が”モノ”となる。すなわち、”モノ”がほしいなぁと嘆願し、その”もの”の大きさを価格.comなどで調べ、購入する決断をし、そして”モノ”を一旦手にすると、それは”物”に変身する、という訳である。ここが、日本語の良い点でもあり、ややこしい点でもあるが、昨今の電子マネーでこれを捉えると、そのマネーは、”物”ではなく、”もの”でありつつも、数字的(残高などの目で見れる状況)には”モノ”となる。
 そもそもお金の起源を問うと、ブツブツ交換での価値基準としての媒介に、お金がある。お金という別の付加価値でもって、ブツの価値とお金の価値の基準を一致させ、互いの価値基準を交換でき、結果的には、ブツカネ交換が成り立つ(ここの記事)。そこで重要となるのが、お金の価値基準である。その価値基準は、どこから生じるのであろうか。
 簡単に言えば、先にも示したが、これは人と人との間にある”もの”の信用度によって決まる。言うなれば、お金とは「信用を刻印された”もの”」2) (ダブルクォーテーションは筆者による)に他ならない。そのため、届いた”モノ”が、”物”として確認できた後、”もの”よりも、その”物”に信用がない(価値がない)と判断される(してしまう)と、「金をどぶに捨てた」とメーカーに怒りたくなる原因が生じる。そのため、製品”物” = お金”もの”でなければならず、そこから、コストパフォーマンスなるイメージへと導かれる。
 一方、博報堂生活総合研究所による生活者観測データ3)によれば、質問「お金について、あなたにあてはまるものを教えてください。」について、34.4%の人が「世の中はすべて金で決まることが多いと思う」と答え、28.6%の人が「お金は命の次に大事なものだと思う」と答え、お金の価値基準の推移を読むことができる。これによると、3割の人は、お金に対して重きを置いていることになろうか。さらに、その一方で、質問「今後、何にお金をかけたいと思いますか?」「現在、何にお金をかけていますか?」については、前者は、貯金、旅行での%テージが大きく、後者は、ふだんの食事、外食でやや%テージが大きいことが分かる。詳しいデータは文献3)を拝見していただきたいが、これからのデータから、一概に、お金 = 物ではないことも示している。貯金や旅行や食事は、みな有形の”物”ではなく、例えば、旅行にておみやげ”物”に変えることはあっても、それ自体が旅行の本質ではない。旅行で食事をするのは、この記事でも示したように、人類としての”もの”を見出すイベントなのかもしれない。それは”物”としてのお金以上の価値に繋がるのかもしれない。

1) 佐野賢治: もの・モノ・物の世界 -序にかえて-. 「もの・モノ・物の世界 新たな日本文化論」印南俊秀・他(編), 雄山閣. 2002.
2) https://hikakujoho.com/manekai/entry/20160809 (閲覧2018.8.2)
3) http://seikatsusoken.jp/teiten/category/14.html (閲覧2018.8.2)

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