地底たる謎の研究室

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固執する記憶に対する記憶の固着性


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題名:固執する記憶に対する記憶の固着性
報告者:ダレナン

 ヒトの記憶は年齢とともに薄れゆく。しかしながら、脳内の記憶回路が明瞭であった時の記憶は、いつの時代でも褪せることがない。特に、年齢を経て、ある程度の年齢に至ったヒトであれば、そのヒトがリコール(リコールは再生と訳されるも、ここでは、あえて再燃としたい)する記憶は、いつも多かれ少なかれそれほど変わることがない。それは、ある当時の記憶が、脳内の記憶回路に明確に固着された状態でもあり、その固着を新たに作り変えるほどの記憶の塗り替えが、年を経て起こりえない(起こりにくい)状態でもある。
 新たな刺激は、感受性の著しい時代(脳内の神経回路に柔軟性が高い時代)にのみ起こりやすい。したがって、その記憶の塗り替えが行われない状態(脳内の神経回路に柔軟性が失われた状態)は、神経回路の経年変化として捉えることもできるが、Up-to-dateできない(しない、しにくい)ような脳内の経年変化は、年とともに、記憶の容量が少なくなったことを示唆し、過去の事を何度も振り返る現象は、まさに年齢とともに起こりうる記憶の固執に他ならない。ただ、これは、ヒトという生物種の誰でも起こりうる現象でもある。
 ただし、である。一般的に会社の飲み会などにおいて、年齢の高い人が若い人の話を聞かずに、説教ばかりたれるのは、その人の記憶の固執性を如実に意味し、自慢話ばかりするのもほとんど同意である。可塑性の高い年代の方が、その現象に閉口するのは、実際は、経年変化に伴う年齢の高い人に対する記憶の固執性の強制的な確認作業でもあるが、これが、本当は、厄介でもある。したがって、新規の知見がまったく得られない飲み会は、楽しいはずがない。本音では、その会は時間の無駄である、と言いたい。が、社会的にはこれが難儀である。つき合いと言えども、この意見に同意する人も多いかと、やや信じている、とここで、伝えたい。実は、個人的には、この現象自体が、以前から不思議でならない。なぜ、記憶の固執にこだわるのか。それが、分からない。個人の権力を誇示したいだけなのだろうか(やや個人的な愚痴になったかもしれない…(反省))。将来性のない、くだらない大人のたわごとは、無益以外のなにものでない(これも、やや個人的な愚痴になったかもしれない…(反省)…であるが、どうして社会構成の一因として、未来の子供たちのために伝えたい)。
 一般的に、脳内において記憶が司る部位は、海馬体と言われる。その海馬体は、ヒトが人たる所以である理性を司る前頭葉に位置するのでなく、実は図のように深層に位置する。すなわち、特にヒトとして、文化的な様相を纏い、人として、他の動物と異なる進化を歩んだ経歴で獲得した機能でなく、あくまでヒトが人以前とて有していたのが、記憶の機能でもある。
 その記憶に関して面白い研究がある2)。一時的な記憶と、長期的な記憶に関する研究であるが、8.5分の映画と120分の映画を用いて一時記憶の間と、長期記憶の間において、海馬体が映画のフィルムを編集する様な活動が得られたことが報告されている1)。



図 海馬体1)

それによって、海馬体には、情報をパッケージ化して個々の断片にし、それを記憶として長期化させることが示唆されている。これを拡大解釈すると、固執する記憶は、編集ができなくなった脳内の記憶機能も意味するのかもしれない。確かに、編集が一定となった映画には、くだらない飲み会と同様に面白みはまったくない。

1) https://en.wikipedia.org/wiki/Hippocampus (閲覧2018.10.19)
2) Ben-Yakov,A. Henson, RN: The hippocampal film-editor: sensitivity and specificity to event boundaries in continuous experience . bioRxiv 273409; doi: https://doi.org/10.1101/273409.

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