地底たる謎の研究室

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ちはやふるKiel estas tiu koro? でもって、それをどう使うかはあなた次第、に至る



「宇宙コロニー( Off-world colonies )での新しい生活が貴方を待っています。チャンスと冒険に満ちた黄金の土地に、再び巡ってきた好運。」 “A new life awaits you in the Off-world colonies. The chance to begin again in a golden land of opportunity and adventure.”

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題名:ちはやふるKiel estas tiu koro? でもって、それをどう使うかはあなた次第、に至る
報告者:ナンカイン

 様々なインターネット上のコンテンツを分類すると、その多くはこの記事でも示したように、映像/画像などが、現代では最も重要な位置を占める。その映像/画像などが多い背景には、一瞬にして理解しやすく、そのコンテンツに対して個々の解釈があるとしても、そこに通説的な一定の理解が得られやすい何か、言い換えると中途半端な解釈が及びにくい、普遍的な、ピンときた、らしき何かがあるからに違いない。ゆえに、これらは、デジタル時代のコンテンツとして今後もますます強い影響を与えていくであろう。その他の従来からのコンテンツとして、文章や言葉などのテキストベースが挙げられるが、テキスト文化とも言われたブログを始めとして、今やオワコン(*)とも揶揄されている。ある偉人の名言、例えば、ミュージシャンのブライアン・アダムス氏でもって、「貴方の周りを変えようとしてもほとんど意味がない。まず最初に、自分の信念を変えなさい。そうすれば、貴方の周りのあらゆることがそれに応じて、変わる。」2)と伝えた、が、なるほどと思えども、それを何とか理解を示そうとするも、図のDilraba Dilmuratさんの枕投げの笑顔の一枚の画像には、如何なる言葉もかなわないのかもしれない、と、ふと気づく。言葉は剣より強し、という信念も簡単に揺らぎ、言葉は画像より弱し、となる。ということは、どれほどの文章を綴ったとしても、コンテンツにおける映像/画像などが文章よりも簡単にヒトの感情を揺るがしやすい優位性を有している、ということなのであろうか。そこで図を提示した。
 さらには、「ブログはオワコンだ」との提言を見ると、テキストは読むためにエネルギーがかかり、今ならやっぱり動画です、動画4)、とされる。そこで画像に次ぐ、Dilraba DilmuratさんのYoutube5)も、とりあえず挙げてみる。すると、言葉は映像/画像よりもさらに弱し、となるかもしれない。これでもって、これ以降の文章には大した意味を持たなくなる(…?)。そのため、ちはやふるKurbiĝanta per kapkuseno, kapkuseno ĵetas. Kiel estas tiu koro? かみよもきかずたつたがわで、締めくくりたい。それをどう使うかはあなた次第6)、で、からくれなゐにみつくくるとは、に至るのであろう。



図 Dilraba Dilmuratさん2)

*: オワコン(おわコン、終わコン、終わったコンテンツとも)とは、主に一般ユーザー又は、個人ユーザーに飽きられてしまい、一時は栄えていたが現在では見捨てられてしまったこと、ブームが去って流行遅れになったこと、および時代に合わなくなった漫画・アニメや商品・サービスを意味するインターネットスラングである1)。
1) https://ja.wikipedia.org/wiki/オワコン(閲覧2019.1.2)
2) http://atsume.goo.ne.jp/HxLFhNn4N7Zb (閲覧2019.1.2)
3) https://www.pinterest.jp/pin/675891856552735262/ (閲覧2019.1.2)
4) https://blogos.com/article/337008/ (閲覧2019.1.2)
5) https://www.youtube.com/watch?v=8pM44QkYhjQ (閲覧2019.1.2)
6) http://japana-esperanto-junularo.com/kio-estas-esperanto-1/ (閲覧2019.1.2)

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