題名:島茂子の人生の歩み
報告者:ダレナン
本記事は、この記事の続きです。
やったー、やったでー、まあまあいいねっていわれたでー。そうして、社長令嬢(この記事)にまあまあいいねといわれて、有頂天になっているその時、そういえばかつてナゴムレコードなるレーベルがあったことをふと思い出す。そのナゴムレコードの主催者は、ケラリーノ・サンドロヴィッチ。奥さんは女優の緒川たまき1)。かつてのバンドは、Vo.ケラ、ったで有頂天。そうだったのだ。うちょー。ボ・ケラ・ッタ。
そうして、オバQと行進するのだ。ここを更新するのだ。ここで交信するのだ。オバQ。カモーンヌ。
でんがらった、でんがらった、ぼくおばきゅー。きょーうもげんきに、ぼくおばきゅー。こんな歌だったのか。いや違う。完全に違う。これはまさしくボ・ケラ・ッタ。
そうして、バケラッタは藤子・F・不二雄大先生単独作品の「新オバケのQ太郎」にのみ登場し、前作で藤子不二雄合作の「オバケのQ太郎」には登場しない、ことに気づく2)。ゆえに、O次郎が発した言葉、それが、バケラッタ。
一方、藤子・F・不二雄大先生は、後年に「劇画・オバQ」を発表した。「ビックコミック」1973年2月25日号に、である3)。そこには、こう書かれている。「サラリーマンは会社という機械に組み込まれた歯車なんだよ、勝手に脱けたりできるもんか!」と。
永遠の愛がないのと同じく、永遠の子どもはない。アル・コールの力で、思考がリ・コールされ、「劇画・オバQ」内で、永遠の子どもを誓ったとしても、「正ちゃんはもう子どもじゃないってことだな」と、オバQにさとられ、その世界を去る。すなわち、子どものころの気体化されたエントロピー大の思考もやがて、硬直し、固体へと移行して、エントロピー小の大人の思考が完成する。そうして、かつて期待された気体の思考は、大人になると古体化する。
図 Hi Guys!4)
それがローガイ。ローガイとして、Low Guysに至るのだ。High Guysでも、Hi Guys!(図)でもなくて、Low Guysに至るのだ。ゆえに、ここにあるのは、気体ではなく、期待されない個体のたわごとなのかもしれない。いや、ざれごとでもいいかもしれない。ただし、大人になると「誰だって人に言えない古傷抱えてる」5)。そう唄ったのは、島茂子。歌は「戯言(ざれごと)」。これまで背負い、乗り越えてきた人生の重みが、歌謡ロックという形に昇華され、誰もが傷つき、悲しみを抱えている5)。そこからどうにか動き出すために、エンターテインメントが生まれる5)。誰だって、何歳になったって、厳しい現実と向き合いながら、人は歩み続ける5)。それが、島茂子の人生の歩みなのだ。
1) https://ja.wikipedia.org/wiki/ケラリーノ・サンドロヴィッチ (閲覧2019.7.3)
2) https://dic.pixiv.net/a/O%E6%AC%A1%E9%83%8E (閲覧2019.7.3)
3) 藤子・F・不二雄: 劇画・オバQ. 藤子・F・不二雄: ミノタウロスの皿. 小学館. pp107-126, 1995.
4) https://www.pinterest.jp/pin/464222674087856052/ (閲覧2019.7.3)
5) https://realsound.jp/2018/05/post-192306_2.html (閲覧2019.7.3)
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