題名:悪人の、悪人による、悪人のための魂を、映画「悪人」から開く人
報告者:ダレナン
本記事は、この記事の続きです。
その著しく低レベルの映画レビューは、もはや騙されたとして、この記事を読んでいる、いや、結局のところ、ビューされずに、そっと閉じられようか。そうして、悪人たる僕(しもべ)は、そっとほくそ笑むのだ。ここには、レビューなんぞあるわけがない。それを期待しても無駄だ。だからこそ、こころが開く人、人人、ひとびと、それを言い返すと、ニンニクのかぐわしい芳香を、そして、方向を、さらに、奉公を、楽しむだけのものが、咆哮するかのごとく奇妙なレビューとして、ここに存在している。奇妙ではなくとも、きみょーむりょーじゅにょらーいな、正信偈だからこそ、真剣に、わざわざ、表題に、ここしばらくのこの記事から続く表題に、映画「なんとか」として、わざわざ映画、かっこ、かことじとする。そのこころには、そのこんていには、悪人たる魂胆が潜んでいるのかもしれない。かといって、ここを読んで、咆哮する人だけが楽しめる、いや、楽しめないぞ、今回は…、であったとしても、との趣で、一筆したためたい。
一生涯に観ることができる映画は、いったい、何本であろうか。その何本がなんぼのものであろうとも、こころに残る映画は、実際のところわずかだ。いっぱいみても、その内容がガックリとくるものであれば、いっぱい食わされたとなる。いっぱい食わされても、こころは、満腹感は、いつも満たされない。だから、次に、次に、その次にくるのは、良作ではないかと期待して、そのつどの、期待外れに対して、こう思うのだ。
「くそ、つまんねー」
でも、待てよ。それを判断するのは自分ではないか。もしかして、もしかすると、製作者側は、「つまんねー」と思っていても、そこではベストな政策を投じているのではないか。そうしないことには、次の制作はない。それが、ポリシーというものだ。つまらない政策に、製作費を投じる。それこそが悪人だ。
でも、この映画「悪人」には、そのつまらない政策はなかっただよねー。おもろかったよー。しかも、残っているよ、わずかでも、記憶に。
きっと、制作者はみな悪人だで。だって、最後まで、この映画、ビューしちゃった、されちゃったもの。
ひとつの殺人事件、引き裂かれた家族、誰が本当の”悪人”なのか? それは、その本当の”悪人”は間違いなく、制作者。特に、李相日監督だろう。
忘れようにも忘れられない記憶。李相日監督、いい映画ありがとう。
図 悪人1)
1) https://www.pinterest.jp/pin/737745982693206682/ (閲覧2019.11.16)
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