地底たる謎の研究室

3000km深から愛をこめて

網膜に記録した何か



「宇宙コロニー( Off-world colonies )での新しい生活が貴方を待っています。チャンスと冒険に満ちた黄金の土地に、再び巡ってきた好運。」 “A new life awaits you in the Off-world colonies. The chance to begin again in a golden land of opportunity and adventure.”

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題名:網膜に記録した何か
報告者:ダレナン

 わたしは時折、無性に何かを記録したくなる。それは文章であり、そして画像だった。
 文章ならばこうしてここにあるようにしたためればいい。それは鉛筆でも、ボールペンでも、万年筆でも、あるいはキーボードでもできる。紙(時には電子媒体)と記述する道具さえあればいい。
 でも、画像はそうはいかない。
 例えば、目に映ったものを記録する。
 頭の中に。
 でも、その記録は、時間とともに失われ、次第にその痕跡すら無くなってしまう。
 それが記憶の忘却だとすれば、やはり何かの道具に頼らなければならない。それは、カメラであり、スマホであり、時によってビデオそれともスマホによる動画だった。
 あるいは、そのカメラで二眼するも(図)、わたしの片目はすでに視力がかなり落ちていたことに気づいている。また、それにつられて、良かった方の眼の視力も、近頃かなり衰え始めていた。
 わたしは最近、気づくとまじかでディスプレイを見ている。その距離、約30cmだ。時には10cmにまで近寄り、思い切りブルーライトを浴びる。
 だから、記録するには、二眼のカメラでそれを実践せなばなるまい。そこに、ブルーライトは現れない。その安心感は、わたしの両目は、決して、まだ光が見えているはずだと肌で感じる。視力で感じる。



図 二眼1)

 わたしの両目にはまだ光があると。
 もうすぐその光が見えなくなったとしても、今のわたしの両目には、今はまだ光が宿っている。
 「愛しいあなたの…」
 そして、その二眼には、古くとも、フィルムあるいは網膜そして脳内に確実に露光するはずだった。

 でも、すでに、その露光は時代とともに失われ、わたしの中の光も失われ始めていた。

 時代はデジタルとなり、露光は意味をなさなくなっていた。だから、わたしはついそこら中にあるインターネッツ上のコンテンツに頼る。自分が露光するよりも、露光して路頭するよりも、デジタルの恩恵にあずかる方が、わたしの網膜に安易に何かが記録されるからだった。そして、その網膜に記録した何かが、記憶となって頭の中で露光する。
 わたしの頭の中の光が点滅し、脳内のフィルムに転写する。
 転写され、そして気づいた。

1) https://www.pinterest.jp/pin/12033123989447008/ (閲覧2021.2.23)

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