題名:国語能力的な問題を考える場所にて、量子が高速する。
報告者:ダレナン
本物語は、この物語の続きです。
先の心の帝に従えば…、と、ここで帝をテイと呼ばずにミカドと呼ぶと、底ではなくあえて帝としたところに意味があるのかと問いたい。しかし、筆者である僕は、ここで物語の流れを追って、追ってではなく折ってみると、すなわち物語を分断してもこう言いたい。
心の支配(高速:拘束)を決めるのは、底ではなく、そこにあるのだ。それが帝なのだと。そうだ。それはあこがれの量子重力理論の完成をめざしたRoger Penrose博士が指摘したところの、心の皇帝でもあるのだ。
皇帝の新しい心でもあるのだ。
「人の心が脳という物質から生まれるのなら、物理学で解明できるはずではないか!」1)という理論と同意義であれば、きっと「とある作者が生み出した登場人物は、その作者の経験則で語ることができるはずだ!」ということにも等しい。
すなわち、こうだ。
登場人物が独り歩きして、作者が何かを産み出し、生み出された神が飼ったものではなく、それはブレンドされた作者の経験則から生まれた心的(いや神的…?)な自己の虚像である、と。
いわば、巨大な象さんなのだ。
だから、特別な神が作者に向けて何かを飼っているわけではない。
神様が買っているのは、その作者がもつ心的な虚像、巨大な象さんなのだと。
で、思う。だから、神様が買っているその文体を、読みたくなる。
と思いきや、もっとええ文体でここで書きて―なーと。感動するええもんを書きて―なーと。でもな、いくつかの過去に書いた文を読み返して、こりゃーあかんで。と正直思た。いやー、頑張っても、才能難チュー門は、難チュー問やで。その崇高なる門の周りにネズミがおってさ、それを退治してもさ、対峙できへんがな。
自己の経験則が足らへんがな。もちろん国語能力の問題もや。
1) https://www.amazon.co.jp/心は量子で語れるか―21世紀物理の進むべき道をさぐる-ブルーバックス-ロジャー・ペンローズ/dp/4062572516/ (閲覧2021.8.20)
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