題名:いしてるの心を知るに対する機械的な反論
報告者:ダレナン
本記事は、この記事の続きです。
自らの記事に対して、自ら反論するのはいささか妙な形式となりうるも、ここでは、機械側から見た反対の論理としての反論ととらえたい。すなわち、この記事にて、いしてるの心を知ることは、筆者の永遠の謎としたが、それは機械でも本当に謎なのであろうか? という意味合いでもある。
この記事にて、いしてるの心に
あ
と母音一つをつけることで、あいしてるの心となることを伝えた。このあいとは英語ではLoveになろうが、日本語ではあいのままで、これをあえてローマ字に直すとすれば、AIとなる。AIをさらに別の見方をすれば、Artificial Intelligenceの略となり、今まさに時流である人工知能のことを指す。では、現時点での人工知能と人間との明確な違いを述べると、人間には心があり、機械には心はない、ということに他ならない。心が何か? という定義は一端置き、ここでは、一般的に人間が心と考えうる心そのものとしたいが、機械には、果たしてこの先も心がないかと問えば、必ずしもないとは言い切れないのが現状である。人間の心の根源は、まさにいしてるの心の中にあるとも言え、映画「her/世界でひとつの彼女」にあるように機械であるはずの人工知能型OS・サマンサに人間の男性が惹かれ、機械であるはずのロボットを恋人として結婚を望んでいる人間の女性もいる1)。そのため、現代のいしてるの心の矢印は、図のように人間を中心として外に向かっていると言える。一方、これも図にあるように、現代のいしてるの心に、すでに男女間の垣根はなく、生物との垣根も取り払われようとしている。これがやがて、映画「エクス・マキナ」にあるように女性型ロボットエヴァが元機械仕掛け(ex Machine)にもなると、点線の矢印のように、人間に向かういしてるの心も芽生えるのかもしれない。しかしながら、事の始めは、”あ(A)”のない無慈悲なIntelligenceの誕生でもある。
図 いしてるの心の矢印
ここで、そもそもあいとはなんであろうか、を考えたい。アメリカの心理学者であり、アカゲザルの代理母の実験でも有名なハリー・ハーロウ博士によれば、あいとは、ひとつの関係からではなく、多くの関係から構築され、他者とつながる能力がそこから始まり、それは、社会的知性であり、かつ、夢中になるものとして表現している2)。人工知能はつながる能力があり、社会的知性もやがて獲得できるかもしれない。しかしながら、人間にも夢中になれるのかは、いしてるの心に”あ(A)”が (人工ではなく) 自然に芽生えるのかが、鍵となるのであろう。
1) http://karapaia.com/archives/52231199.html (閲覧2017.3.6)
2) ブラム, D: 愛を科学で測った男. 白揚社. 2014.
From ここから。© 2015 This is 地底たる謎の研究室 version。