地底たる謎の研究室

3000km深から愛をこめて

ライカMシステムへのまなざし



「宇宙コロニー( Off-world colonies )での新しい生活が貴方を待っています。チャンスと冒険に満ちた黄金の土地に、再び巡ってきた好運。」 “A new life awaits you in the Off-world colonies. The chance to begin again in a golden land of opportunity and adventure.”

広告


pocket LINE




題名:ライカMシステムへのまなざし
報告者:ログ

 カメラの老舗のメーカーと言えば、言わずと知れたLeicaが間違いなくその筆頭になろう。今ではスマホ(スマートフォン)でも高画質の画像を得ることが出来るようになったが、かつては高価なカメラで持って、これまた高価なフィルムを装填し、腕はともかくとして、それでようやくよい画像(撮像)を得ることができた。今となっては、雲泥の差である。ただし、過去のカメラ歴史を含めたそれらのカメラの中でも、Leicaのカメラは、日本の有名メーカーであるCanonやNikonでも、どうしても越えることが出来ない歴史が存在する。
 デジタル一眼でフルフレームと呼ばれる36mm×24mmに相当する撮像素子がある。実は、この大きさの規格自体が、Leicaによって規格化され(この記事も参照)、それはデジタル時代の今でも生きている。ゆえに、この規格自体がLeicaの偉大さを示し、どうあがいても越えることの出来ないLeicaの大きな壁でもある。また、世界的な人気を誇るニューヨークのフォトグラファー、エリオット・アーウィット氏をはじめとして、ロバート・キャパ氏やアンリ・カルティエ=ブレッソン氏など世界の名だたるフォトグラファーがLeicaのカメラを愛用し、有名な作品を多く残しているのも、写真好きならよく知る事実である。ちなみに、エリオット・アーウィット氏が最初に手に入れたカメラもLeicaであり、その機種はLeica IIIcとされる1)。1949年のことである1)。なお、雑誌のフォトアートの1949年12月号で「オール国産カメラ」の特集が組まれているが、ここでもその表題に「ライカ型カメラ」として明記されている2)。このことは、この時代からすでに、Leicaに追いつけ、追い越せの日本メーカーの状況であったことが容易に推測できる。
 Leicaのカメラの中でも、Mシステム、すなわち、レンズ交換に伴うマウントの規格としてM型マウントを中心としたカメラシステムがある。近年は、Leicaもカメラシステムのラインナップが豊富となり、M型マウント以外でもマウントが存在するが、M型マウントはこれまたLeicaのカメラの歴史でもあり、交換レンズも豊富に存在する。ゆえに、LeicaのMシステムを利用できる、扱えるフォトグラファーは、一流の証でもある。そのため、Leicaの赤バッチに、Mシステムをみると、アマチュアを含めたすべてのフォトグラファーの大いなるまなざしが光る。しかしながら、そのLeicaの歴史ゆえに、Mシステムは、ヘビーである。もちろん、重量ではなく、¥が、である。
 図にカメラ本体がLeica M10、交換レンズがNOCTILUX-M F0.95/50mmのMシステムを示す。カメラ・写真好きにはしびれるほど、かっこいい様相であるが、このセットで軽く車一台が購入できる。そのことから、もし手元にこのMシステムがあったら、こう思うに違いない。



図 LeicaのMシステムの一例3)

「外に持ち出すのはもったいない。そのため、防湿庫に大事に保管して、内(家)で愛でよう。」

1) http://ism.excite.co.jp/art/rid_Original_05623/pid_2.html (閲覧2018.7.10)
2) http://nikonfan.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/1949-8e5f.html (閲覧2018.7.10)
3) http://jp.leica-camera.com/フォトグラフィー/ライカMシステム/Mシステム-レンズ(閲覧2018.7.10)

From ここから。© 2015 This is 地底たる謎の研究室 version。