題名:「芸術における多様性の発生と組織」を起点とするBrian Eno氏の思想
報告者:ゴンベ
本記事は、この記事の続きです。
先の記事にて、Brian Eno氏の曲「By This River」について内省し、その曲は川辺のほとりでの禅問答のような雰囲気をかもしだしていることを報告した。さらに、Eno氏は、不思議と音楽家と言うよりも、哲学者のような出で立ちであることも述べた。ここでは、そのような出で立ちのあるEno氏の思想を探るべく、彼の小論文「芸術における多様性の発生と組織」1)を起点として、Eric Tamm氏によるEno氏について研究した博士論文の書籍「ブライアン・イーノ」からの内容も交えて考察したい。
小論文「芸術における多様性の発生と組織」では、Eno氏は、現代音楽の役割の意味を議論し、その技法を提示しているが、その小論文に多用されているキーとなる言葉として、題目にもあるように、多様性がある。その多様性については、ロンドンの精神科医であったWilliam Ross Ashby博士によって概念化された、一般システム理論や複雑系といったサイバネティックス(*)からの引用となる。Ashby博士によって概念化されたサイバネティックスとは、Eno氏の言葉を借りると、「アウトプット出来る最大の範囲、それが取る事の出来る行動の範囲を、有機体の確率的な組織の柔軟性(適応性)でもって示し、決定づけること」となるが1)、後年、Eno氏は、そのサイバネティックスの考えを、さらに拡張し、サイバネティックス研究者のStafford Beer博士が提唱したヒューリスティック(既知の標準に基づいて、持続的・反復的に進化を検証しながら、未知のゴールを探索するための一連の指示3))をも含めて、自らの音楽性のコンセプトを、次のように捉えている。環境と進化の可変性の中で生きている、適合・複合・発見の特性を持つ有機体という、サイバネティックスの下、その展開の中で、自律的な動きが許容できる基本システムと、その中の対話ネットワークとしてあるべく姿として音楽プロセスがある3)。すなわち、厳密な理論を構築し、動きをコントロールしようと無駄な努力をするのとは反対の、「システムのダイナミズムに乗る」ことが、Eno氏の創造哲学となる3)。そして、その特筆すべき創造性の根底には、Eno氏の叔父の影響もある可能性をも、Tamm氏は指摘している。その指摘とは、彼の叔父が15年間後もインドに住んでいた画家で、庭師であったことから、Eno氏には、カトリックの背景だけでなく、ある種の東洋的な宗教観も持ち合わせた、という。筆者が「By This River」について感じた禅問答のような雰囲気は、もしかすると東洋的な宗教観の表現として、生じているのかもしれない。また、Tamm氏は著書の中で第7章「哲学者としての音楽家」と論じているが、ここでも、筆者と同じEno氏の哲学者としての出で立ちを示すことができよう。そして、Eno氏は音楽的体験の感覚について、次のように述べている。「私には、ある根源的なものの中に、ずっと以前からよく知っている親密な神秘的なものがあって、自分はそれに奇妙に繋がっているという感覚だ。どこか内奥の深い所にある、感覚の全世界へ通じる扉が開かれたような感じだ。…中略…。その感覚は忘れられないもので、いったんそれを感受した者はだれでも、残りの人生でもそれを感じていたいと望む。」3)とある。Eno氏の音楽は、その感受との共有でもあろうか。
*: 通信工学と制御工学、生理学と機械工学を総合的に扱うことを目的とする学問。後に、アメリカの数学者ノーバート・ウィーナー博士によって体系化された2)。
1) http://www.bussigel.com/systemsforplay/wp-content/uploads/2013/12/Eno_Generating.pdf (閲覧2018.9.29)
2) http://artscape.jp/artword/index.php/サイバネティックス (閲覧2018.9.29)
3) Tamm, E: ブライアン・イーノ. 水声社. 1994.
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