「我思う、ゆえに我あり。」と思考するのか、コンピューターは?



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題名:「我思う、ゆえに我あり。」と思考するのか、コンピューターは?
報告者:ダレナン

 「我思う、ゆえに我あり。」とはフランス生まれの近代哲学の祖であるルネ・デカルトの言葉である1)。この言葉は、哲学史上でも最も有名な命題の一つであり1)、たぶん知らない人はいないであろう。その意は、“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が、自分が存在する証明とされる2)。一方で、数学における直交座標は、別名でデカルト座標とも言われている。しかしながら、デカルトが幾何学的にこの座標を応用したのではなく、デカルトの思想を数学へと転用した結果、デカルト座標と到達した3), 4)。その詳細は、文献3)にあるように、元となるデカルトの思想が重要であり、「デカルト座標において、デカルト哲学の出発点である自我に相当するのは、原点である。なぜならば、個体発生的にも系統発生的にも、原点の原点は自我だからである。すなわち、視覚的に与えられた三次元空間における原点は、原初的には自我の位置にあり、物理的に自我の位置にない場合も、他我の立場に自我を想像的に置くことで、三次元空間の位置付けが理解される」3)を一部改編からである。そこで問題となるのは表題にある、コンピューターが原点を何らかの形で理解したとする。すると、コンピューターは、「我あり。」となるのであろうか? ということである。
 幾何学的に、現在のコンピューターは、十分に原点を理解 (判断)できているであろう。3Dのアニメーションなどは、まさに原点が理解(判断)できているからなせる、コンピューターの得意な分野である。しかしながら、原点が理解(判断)できているといえども、「我あり。」の状況は、はたしてどうであろうか。
 イギリスの数学者アラン・チューリングは、論文5)において「機械は思考できるか?」という提案をし、チューリングテストを考案した。チューリングテストとは、「人間は(多分)思考できるなら、人間と区別がつかなければ、機械は(多分)思考できる」という判別方法のことである6)。そのチューリングテストにユージーン・グーツマンは合格した。ちなみに、ユージーン・グーツマンは人工知能のことを指し、人間ではない。2014年の6月に英国のレディング大学で開催されたイヴェントで登場したロシアのサンクト・ペテルブルクのチームが設計した5台のスーパーコンピューターのひとつである6)。このことから、「ユージーンちゃん」コンピューターは少なくとも、その時「我あり。」とできていたのかもしれない。
 ただし、である。現在のヒトは過去の多くの生物の進化から誕生したホモ・サピエンスである。そこに至るまでに様々な連鎖と増殖が繰り返され、今の思考するヒトが生まれたのは異論ないであろう。仮に、これと同じようにして、今後「ユージーンちゃん」コンピューターが連鎖し、第二、第三の「ユージーンちゃん」コンピューターへと増殖すると、やがてコンピューターは原点以上の理解(判断)を持つ「我あり。」へと座標空間を膨らませて、思考に至る可能性をも示唆している。その時は、ウルトラスーパーコンピューターの「デカルトちゃん」が「我思う、ゆえに我あり。」を証明してくれるかもしれないし、くれないかもしれない。

1) https://ja.wikipedia.org/wiki/ルネ・デカルト (閲覧2016.11.2)
2) https://ja.wikipedia.org/wiki/我思う、ゆえに我あり (閲覧2016.11.2)
3) https://www.nagaitoshiya.com/ja/2011/cartesian-coordinate-system/ (閲覧2016.11.2)
4) http://togetter.com/li/647784 (閲覧2016.11.2)
5) Turing, A.M.: Computing machinery and intelligence. Mind 59: 433-460, 1950.
6) http://www.grucom.jp/archive/other/1573/ (閲覧2016.11.2)
7) http://wired.jp/2014/06/11/eugene-the-supercomputer/ (閲覧2016.11.2)

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