地底たる謎の研究室

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今見ている現実と生と死の境


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題名:今見ている現実と生と死の境
報告者:ダレナン

 今見ている現実は実態があるようでない。現実と言われても、結局は網膜で捉え、脳内で知覚した生物的な現象が認識されているからに過ぎない。そのため、これが現実かと問われても、生物的には外界を脳内細胞への変化となる過程があるだけであり、これも実時間とどのように繋がっていたかは関連性がない。
 その時間の概念に関して、ある民族にとっては意味がないことが知られている。アマゾンの奥地には時間の概念がないアモンダワという民族がいる。彼らは、時間とは関係のない事象の世界に生きている1)。ポーツマス大学のChris Sinha教授よれば、彼らは時間という概念を持たず、事象を時間に埋め込まれたものと見なすのではなく、事象そのものの世界に生きていると言われている2)。しかしながら、その少数民族も、近代化の影響で、時間の概念が芽生えつつある。なぜ、彼らでも時間の概念が表面化してしまったのかは不明であるが、いわゆる「時間に追われる」ような現代の生きにくさが彼らにも浸透し、それが影響を及ぼしたのではなかろうか。この原因を彼らの古くからの生活様式を探ると、結局は物の豊かさと引き換えに心の豊かさが失われたことが、現代の「時間に追われる」ような概念を招いたように思われる。すなわち、どれだけ物が豊かになろうとも、心は満たされることがない。この状況は、老子の「足るを知る」に通ずるものがあり2)。自分にとって「足る」を理解できることが、真の心の豊かさに繋がる。その「足る」は、時間では測ることができない尺度に属する。
 ここで話を戻すと、網膜で捉えた信号は、脳内で変換され、知覚され、認識されるまでには時間がかかる。さらに、これを認識から行動へ移行するまでも時間を要する。すなわち、今見ている現実を行動化しようとした時、それは過去の出来事であり、現実の時間が脳内にあるのかは、疑問視される。この事実から考えると、時間軸上で脳内は真の現実とのズレが必ず存在し、脳は単なる過去を知覚しているだけになる。時間的には終わった出来事が、脳は無理矢理に現実であると認識しているだけである。すなわち、時間的に見れば脳内の現実は死である。その一方で、現実での時間のズレはあるものの、脳内の時間は未来をも写すことができる。やや非科学的ではあるが、予言など現在の科学では証明しにくい現象も時として脳内にもたらされる。これは脳内では生となる。現実の処理から過去となるも、それと、そのまた過去を参考に未来を新たに処理できるのも、脳が時間軸を超えられる証拠でもある。
 脳には現実と思しき近過去を処理しつつ、記憶となる本当の過去の死やこれから起こりうる未来の生を行き来しつつ、時間を自由に操ることができる。近しい人の過去の思い出も、未来につなげることも不可能ではない。人によっては亡くなった人が夢に出てくる現象は、過去の記憶の再現でもあるが、実はその夢は過去にはなかったはずの出来事をも再現していることもしばしばある。
 現実はなくとも人はいつかは肉体的な死が訪れる。ただし、その死は失われた人と関係した人の記憶に残るとともに、その関係した人の記憶の中で生き続けることも可能となる。これが生と死の境に存在する。

1) http://matome.naver.jp/odai/2142227909928979301 (閲覧2015.11.5)
2) Chris Sinhaa, Vera Da Silva Sinhaa, Jörg Zinkena and Wany Sampaioa : When time is not space: The social and linguistic construction of time intervals and temporal event relations in an Amazonian culture, Language and Cognition 3 : 137-169, 2011.
3) http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1217453617 (閲覧2015.11.5)

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