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「夢は枯野をかけ廻る」を電子的に翻訳し直す


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題名:「夢は枯野をかけ廻る」を電子的に翻訳し直す
報告者:ナンカイン

 「夢は枯野をかけ廻る」は松尾芭蕉が詠んだ俳句の一部で、正式には「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」である。全部の句は知らなくとも、「夢は枯野をかけ廻る」はその情景から知っている人も多いであろう。
 この句は、芭蕉の辞世句と言われている。辞世とは、この世に別れを告げることを言い、このことから、辞世句は、人がこの世を去る時に詠む句のことを指す1)。しかしながら、この句の解釈は様々あり、辞世句ではないとする見解も少なくはない。ただし、芭蕉は、元禄7年10月8日にこの句を詠み、その4日後の10月12日に息を引き取ったため、「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」は芭蕉の人生において最後の句であることには変わりはない。この句の解釈としてスタンダードなのは、井本2)の「旅の途中病に倒れ、うとうとと眠る夜々の夢は、あちらの枯野、こちらの枯野と、寒々とした枯野をかけめぐる夢である」になろう。
 松尾芭蕉が俳聖となった生き様については、詳しくは三矢3)を参照して頂きたいが、ここでは彼の人生を振り返る目的のために、以下にその要約をしたい。
 松尾芭蕉は、藤堂新七郎家に武家奉公した13歳頃に俳句に目覚め、31歳に江戸にて俳諧師として大成した。しかしながら、それを振り切るかのように37歳に寂れた地に居を構え、41歳に「野ざらし紀行」、44歳に「鹿島詣/笈の小文」、45歳に「更科紀行」、46歳にかの有名な「奥の細道」の4度の大きな旅に出て句を詠んだ3)。この様子から、芭蕉は「旅の詩人」と言われている。また、多くの名句は、旅を通した情感から生まれたものも多い。「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」は、「奥の細道」の代表的な句の一つである。
 その「奥の細道」の行程を図に示す。詳細は文献5)に詳しいが、距離にして四百五十里(約千八百キロ)、日数は百四十三日前後を要している。しかしながら、このような苦行は芭蕉の身体にも相当の負担を与え、「奥の細道」の後は、芭蕉の健康がとみに衰えることとなる。

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図 奥の細道の行程4)

 松尾芭蕉のようにあらゆる地を人が歩き、句を詠み続けるには限界がある。ただし、インターネットはこの世から電気が亡くならない限りは廻り続け、サーバーが亡くならない限りはネット上のコンテンツも読み続けられる。さしずめ、先の句を電子的に翻訳し直すと、「コンテンツはネット上をかけ廻る」になるであろうか。一つの夢として、このテキストも芭蕉の句のように長く読み続けられ、様々な人に影響を与えられたらと願う。

1) https://ja.wikipedia.org/wiki/辞世 (閲覧2015.12.9)
2) 井本農一: 芭蕉入門. 講談社. 1977.
3) 三矢昭夫: 俳聖 松尾芭蕉. OKB総研REPORT 146. 2013.
4) http://www.ict.ne.jp/~basho/footmark/okunohosomiti.html (閲覧2015.12.9)
5) 金森敦子: 芭蕉「おくのほそ道」の旅. 角川書店. 2015.


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