地底たる謎の研究室

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ゾンビルネサンス時代におけるポストゾンビとゾンビマインド



「宇宙コロニー( Off-world colonies )での新しい生活が貴方を待っています。チャンスと冒険に満ちた黄金の土地に、再び巡ってきた好運。」 “A new life awaits you in the Off-world colonies. The chance to begin again in a golden land of opportunity and adventure.”

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題名:ゾンビルネサンス時代におけるポストゾンビとゾンビマインド
報告者:トシ

 本記事は、この記事の続きです。

 先の記事にて、現代の資本主義社会における非人間的な状況がゾンビとして表現されていることを提示し、そこには、人間性の喪失だけではなく、人間性そのものの変質をも内包されていることを報告した。そして、ゾンビ学という学問体系も示すとともに、筆者自らは、of the Deadの社会学、社会学 of the Deadとしてテーマを提示した。ここでは、正式に英語にてSociology of the Deadとして提唱したい。
 このようなゾンビに関する多種多様な背景や学問化は、すぐに起こった訳ではなく、ことの初めはハイチにおけるブードゥー教にあるも、映画としてのことの初めは、それを題材にした1931年の映画「ホワイトゾンビ(恐怖城)」からになる。決して、アメリカのヘヴィメタルバンドの「ホワイトゾンビ」ではない。映画での主演はベラ・ルゴシで、戦前のホラー映画界における大スターでもあり、「ドラキュラ俳優」としても著名な俳優である。この映画の流れから、ジョージ・A・ロメロ監督による1968年の「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」、1979年の「ゾンビ」を境に、現在の社会的な要素を持つロメロゾンビが誕生した。しかしながら、ロメロゾンビは宇宙からの怪光線によってゾンビ化されたとし、ゾンビに至るきっかけが、やや現実離れしていた。そこから時代を経て、2002年のダニー・ボイル監督による「28日後…」や同じく2002年のポール・W・S・アンダーソン監督の「バイオハザード」などによって、ウイルス感染が元でゾンビになる傾向が増え、ここで、ゾンビ化に至るきっかけに、新たな現実性を帯びることとなった。
 福田安佐子氏1)によると、ゾンビは映画から三区分に分類できることが示されている。1931年~1968年までを「クラシックゾンビ」、1968年~2002年までを「モダンゾンビ」、2002年~現在までを「走るゾンビ」である。しかしながら、2002年以降もロメロゾンビ的な特徴1)、すなわち、①ノロノロと歩く、②身体が腐敗している、③人間襲いかかり、感染する、④理性がなく、言葉を話せない、があることから、「走るゾンビ」とするよりも、実際は「ポストアポカリプス(終末系)ゾンビ」と称したほうがよいかもしれない。ただし、少し名称が長いのでここでは「ポストゾンビ」と改称したい。さらに、現在、活気的にゾンビ関連の映画が製作されている状況や、ヒットしている背景などから、今はゾンビルネサンス時代とも言われる1)。
 このようなゾンビルネサンス時代におけるポストゾンビであるが、ポストゾンビはウイルス感染によってゾンビ化するという現代の時代を明らかに象徴し、これには生物兵器の危険性をも指摘しているに違いない。さらに、将来への生きがいや人生の目標が見出しにくくなった現代は、死者という体をなしてはなくとも、心理的にはゾンビとシンクロする現代人の闇の心をも映し出しているのかもしれない。それに戦うということは、それに贖うことも示し、The Walking Deadなどでも明らかなように、生き延びる者への応援は、現在をよりよくしたいと願う現代人の密かな希望でもあるに違いない。ただし、その一方で、ゾンビよりもむしろ問題視されているのが、生存した者同士の争いであり、また、負傷した仲間を冷酷に見捨てる人間側の非人間的な行為に、もはや人間とゾンビを単純に区別できるものではなくなってきている1)。これは、すなわち、現代人の心の屍(ゾンビマインド)が、徐々に培われている証とでも言い換えることができるのであろうか。まさに、「地獄(世界)が死者(希望なし)で一杯になると、地上(世界)に死人(無慈悲)があふれ出てくる」のかもしれない。

1) 福田安佐子: ゾンビ映画史再考. 人間・環境学 25: 55-68, 2016.

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