地底たる謎の研究室

3000km深から愛をこめて

エルブ論に基づいた「なんとなくBlueな」における自己の客観性



「宇宙コロニー( Off-world colonies )での新しい生活が貴方を待っています。チャンスと冒険に満ちた黄金の土地に、再び巡ってきた好運。」 “A new life awaits you in the Off-world colonies. The chance to begin again in a golden land of opportunity and adventure.”

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題名:エルブ論に基づいた「なんとなくBlueな」における自己の客観性
報告者:ダレナン

 本記事は、この記事の続きです。

 筆者のこころに対する正しい内観であるならば、「なんとなくBlueな」であたっているのかもしれない。しかしながら、自己を客観的に見つめることは、なかなか難しい。ある時には、Blueは、Redにもよりけり、その色相を様々と変化(へんげ)させるからである。留まる事を知らないこころの色相は、シャビラカン・エルブ氏が述べたエルブ論に基づき、部分的には輝く。ただし、そのエルブ論は頑ななまでに難易度が高い。なぜなら、シャビラカン・エルブ氏とはいったいぜんたい誰なのかは、永遠の謎だから、である。図の彼女だけがそのエルブ論に基づく真実を知っているかもしれない。卓越した眼差しで、そう、卓越した眼差しで持って、常にその方向を見つめている。彼女の前には、もしかしてシャビラカン・エルブ氏が、エルブ論を論じていることも推定される。推定できない。推定できる。いや、推定しないほうが懸けとしては正しい。そこで、筆者の頭のねじの一部分が、欠けていても、先の記事の続きとして、ここに、こう×(書ける)。その×(書ける)は、今は、閉ざされた愛に向かって、叫び続けるしかない2)。それが、例え、誰からもくれないとしても、部分的に神に染まるが如く、あるいは、髪に染まるが如く、として輝き続ける。もう二度と届かない思いも2)、エルブ論によってやがて打ち負かされようか。
 しかしながら、自己の客観的な内面は、自己の溝知る。そこに、溝があっても気づかないうちに、はまり込むその様は、のみぞ知るに似て、なんとも言い難いムードを醸し出す。それを洋服で示すとなると、モードとして制定される。少なくとも彼女のモードは、上がタンクトップ、下がジーパンとなる。そのシンプルな出で立ちは、シャビラカン・エルブ氏が提唱した、第一命題「シンプルこそ我が命」と大いに重なる。



図 卓越した眼差し1)

 シャビラカン・エルブ氏が提唱した第二命題は「見にくいところを見よ」である。これに基づいて検討すると、確かに見にくいところがある。それは、イヤリング、もしくは、ピアスなるモードにも繋がる。実のところ、イヤリングか、ピアスかは、どっちであるかは分からない。この世でも難しいとされるエルブ論に惑わされる想いと、それはなんら変わりない。たぶん、円形であることは推測できる。その円形は、彼女の立ち姿から想定すると、直径8cmほどであろうか。もっと大きいのかもしれない。そうして、次は、その理解を超えた理解の先に、第三命題が立ちはだかる。第三命題「同じものが他にある」である。これもかなり難易度が高い。理解できないかもしれない。そこで一息つき、もう一度、エルブ論に興じる。すると、見えてきたものがある。そう、彼女は、そのイヤリング、もしくは、ピアスと同じもの(同じ素材)であろうと思しき、指輪をはめているのだ。

1) https://www.pexels.com/ja-jp/photo/2010877/ (閲覧2019.4.25)
2) http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=37776 (閲覧2019.4.25)

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