題名:Webという電子世界へのダイビングに伴う罠
報告者:ナンカイン
本記事は、この記事の続きです。
インターネットの黎明期の時のことである。とあるコンテンツに興味を持ち、それを中心とするサイトにて、とあるコンテンツを投稿した。やがて、投稿者とのやり取りも生まれ、自身のとあるコンテンツも調子よく投稿できた。そのうちに、交流が深まり、現実とは違う世界でもって、新たな目が見開かれた。コミュニケーション結合における記号論的な有機体でもってなされた、仮想的な友人の誕生である。ピア・ツー・ピアの先にあるクライエントとの間に生まれた交流は、空気振動こそはなく、オーバーレイな状況であったにせよ、まぎれもない構造化を示し、ハイブリッドな様相を呈した。そこで繰り広げられたのは、大きなWebという海にも似た電子世界へのダイビングである(図)。しかしながら、現実はそれほど甘くはなかった。
でーでん、でーでん、でんでんでんでんでん…、ちゃららー、
という感じに、やはり電子世界という海の中にも「ジョーズ」が潜んでいた。当時は、匿名性という状況ではなかったにせよ、社会的有機体のシステムの安定化を阻止すべく、いじめや中傷・名誉毀損に基づき、さらに、特定の人物に対する攻撃が生まれた。それが、筆者であった時は、相手方の情報モラルを疑うも、知らず知らずのうちに受信する側の筆者への安定性に振動を与え、位相変動を起こし、システム(個人)を不安定化させた。そうして、そのサイトでできた仮想的な友人との楽しいやり取りも、特定の攻撃によって、筆者自らシステムをダウンするしか制御方法が見つからなかった。そうして、インターネットの黎明期の時代の幕を閉じた。
図 海へのダイビング1)
今では、むろん個人名では電子の世界に飛び込まない。匿名性というオンデマンドによるレプリカでもって、システム(個人)をアドホックし、無防備なダイビングは控える。
しかしながら、時代を経ても、インターネットが成熟しても、システム(個人)を不安定化させるような「ジョーズ」はいなくはならない。そう、海の中といえども、そこは楽園ではない。常に、危険が潜んでいる。いつしか食べられるかもしれない。その一方で、匿名による表現が、実名による表現の場合と比べて、特別に違法行為の件数が多いとか、あらゆる表現行為の中で、とわけ違法行為の比率が高いという事実も立証されてはいない2)。インターネットは、誰もが自由に議論に参加でき、公開討論を行うことができる、「思想の自由市場」でもある2)。ただし、人としての社会性の倫理観(制御方法)は、インターネットがコミュニケーション結合における記号論的な有機体である以上、いつの時代でも問われなければならない。癌治療と同じ論理である。
1) https://unsplash.com/photos/rq21Z3hsLhs (閲覧2019.2.5)
2) 千代原亮一: インターネットにおける匿名言論の保護. 大阪成蹊大学研究紀要 3: 213-223, 2006.
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