題名:しんぽのかいしん
報告者:ダレナン
本物語は、この物語の続きです。
おおくのひとはそのせいしつを、せいかくをかえることができない。おぎゃーっとうまれて、せいちょうして、そのかていでなにかをえるも、あるかていから、くだりざかへとてんじ、そうして、きがつくともとのせかいにもどっている。そのひとのもともともっているせかいだ。うるさいひとは、うるさいままに、しきりたいひとは、しきりたいままに、まいぺーすなひとは、まいぺーすなままに、しずかなひとは、しずかなままに。そうして、いちぶのやからは、さもじぶんがこのよのせいぎであるかのように、あーだ、こーだいいたがるのもそのひとのもつもともとのせかいだ。それも、かわらない、かえられない、かわることない。このよでかわったのはぎじゅつだけ。みせかけのしんぽは、じつはたいかしている。たいかのかいしんは、なかなかかわることのない、ひとのつねだ。たいかのかいしん、645ねん。でも、いまは、「実は、「645年」は『乙巳の変』(いつしのへん)という反乱が起きた年になります。そしてそれ以降に始まる数年間に及ぶ一連の政治改革を『大化の改新』というのです。」1)となり、たいかは、かいしんにしてならず、いつまでも、しんぽしないひとのことを、かげではさすのかもしれない。「ちょっとこころいれかえてよー。てつだってよー」。だから、うちで、ごろごろしているわけにはいかない。ごろごろするのは、かみなりさまだけのとっけん。しんぽしなければ。そおれが、しんぽのかいしん。
ひさびさにえふでをとった。それは、ジェシカへのおもい。そうして、かんせいしたえをジェシカにみせた。
「きっぺい、ありがとう…」
ジェシカのめからしぜんになみだがこぼれた。(ぼくにはもう、ジェシカしかいない)。そうおもったとたん、あたまのなかからすーっとなにかがきえるかのように、いたりーのエミリアのきおくがきえていった。もう、いまのぼくのめにやきついているのはジェシカしかいなかった。にじゅうろこうはなく、かさなるおもいも、ジェシカだけだった。ぼくはジェシカのなみだで、こころがすっかりかわったきがした。
「ジェシカ。あいしている。いつもありがとう…」
「きっぺい…」
そのひはゆうがたちかくまで、うみにいた。えをえがいて、ときおりジェシカをもでるにふぉとしたが、それいがいはとくになにもせずに、ふたりでうみべでごろごろしながら、ゆったりとすごしたひだった。
ゆうがた、ふたりでてをつなぎながら(ず)、ぼくはジェシカにけっこんをもうしこんだ。ジェシカもなにもいわずに、うなづいてくれた。
ず てをつなぐ2)
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